【東京事変】伝説的日本のロックバンド東京事変が解散した理由に迫る…!
もうやり切った感があり、音楽配信も始まってCDが売れない時代となり家庭に入ろうと思った椎名林檎ですが、2003年バンド活動を始めようと結成したのが東京事変。しかし、東京事変の解散は2012年、突如訪れました。ここではその解散理由を掘り下げます。
ベスト・アルバムというものに対して"嫌悪"すら抱いているといわれる椎名林檎。しかし、2012年リリースのライヴ・ベスト・アルバム『東京コレクション』には新曲「三十二歳の別れ」を含むライブ音源が、東京事変の歴史を"現在"から"過去"へと遡って収録されています。
この『東京コレクション』を聴けばすぐに分かる通り、そこで東京事変が白熱のライヴ・パフォーマンスを繰り広げています。
ライヴ音源は違えども、いずれも椎名林檎が、強力リズム隊が生み出すグルーヴに心地よく乗りながらの迫力のヴォーカルを、しかしながら情感豊かに、また、繊細に歌い上げています。
そして、浮雲のギターが炸裂する迫力満点の演奏は白眉です。この『東京コレクション』を聴くといかに東京事変というバンドがすごかったか分かるというものです。
7年半というアーティスト活動を経て、2012年に幕を閉じた
7年半を駆け抜けた東京事変の解散が2012年1月11日にオフィシャルサイトにて各メンバーのコメントともに発表されました。それは椎名林檎の解散声明文に「事変は来る閏日に解散致します」と宣言されていました。
そして、声明文通り2012年2月29日の閏日の武道館コンサートをもって東京事変は惜しまれながらも解散します。椎名林檎を始め、各メンバーは東京事変はやりきった感の中での解散でした。つまり、解散に未練はなかったのです。こんな幸せなことはないでしょう。
解散後新曲「ただならぬ関係」を含むオムニバス盤『深夜枠』がリリース
配信限定のトラックでこれまでアルバム未収録の「ハンサム過ぎて」で幕を開けるシングル曲のカップリング曲を集めたオムニバス盤『深夜枠』には、カップリング曲とは言え、東京事変の歴史が刻まれています。
中でも『深夜枠』のラストを飾る新曲「ただならぬ関係」では、歌詞の言下に「東京事変はいつでも君達と一緒にいるから忘れないでね」という意味が込められていると思われます。『深夜枠』をリリースしたことで、尚更、東京事変の解散による喪失感は音楽界を始め、ファンの間では特に大きいものであったことが忍ばれます。
現在も各々の個性を各方面で開花させている
東京事変の解散後、椎名林檎に見出された各メンバーはそれぞれ自分の道を泰然自若と歩んでいるように見えます。椎名林檎の活躍はいうに及ばず、椎名林檎の盟友、亀田誠治は名プロデューサーとして数多くのアーティストの作品を世に送り出しています。浮雲は椎名林檎のサポートメンバーとして、また、星野源やLOVE PYCHEDELICOなどのサポートメンバーとして、浮雲ならではのギター・サウンドを聴かせています。
その他の伊澤一葉や刄田綴色や旧メンバーのH是都Mや晝海幹音もソロ活動や自身のバンドで精力的に活動しています。
2016年12月31日のNHK紅白歌合戦には出場した椎名林檎のバックバンドとして第二期東京事変のメンバー集結し、見事な演奏を聴かせました。
まとめ
東京事変は始め椎名林檎のバック・バンドでしたが、それが、東京事変として正式にバンドとしてメジャー・デビューするやその音楽のインパクトの強さに衝撃が走りました。
2005年にH是都Mと晝海綴色が脱退し、浮雲と伊澤一葉が新たに加入し、第二期東京事変として新たに出発しました。
そして、東京事変は絶えず日本の音楽シーンに多大な影響を与え、大きな足跡を残し、2012年に解散しました。
巷では閏年の2020年に東京事変の再結成があるのではないかと囁かれていますが、それだけ東京事変というバンドは人々の心を揺さぶり続け、忘れられぬバンドであったということです。
東京事変は長く語り継がれる伝説のバンドとしてその功績は燦然と今も輝いています。