【元ちとせ】奄美から送る『ワダツミの木』で大ヒット!込められた想いと意味を徹底考察!
ワダツミの木は元ちとせの1stシングルであり、新人アーティストとしては異例のロングヒットとなりました。歌詞を担当した上田現は肺がんにて2008年に逝去しています。今回はワダツミの木の歌詞の込められた思いについて考察していきます。
独創的な歌詞や歌声が魅力の奄美大島出身のベテラン歌手、元ちとせ
元ちとせは1979年1月5日生まれの、奄美大島瀬戸内町出身のシンガーです。2002年に大ヒットとなった『ワダツミの木』が代表曲ですが、その他にも数々の名曲を歌っています。
元ちとせの特徴は奄美大島に伝わる『シマ唄』をベースにした歌い方でしょう。こちらの楽曲は『BLOOD+』のエンディングテーマにもなった『語り継ぐこと』です。低音域は地声、中音域はミックスボイス、高音域はファルセット等、様々な歌唱法が随所に盛り込まれています。
奄美では民謡の意味である島唄を「シマ唄」と言います。シマとは縄張りや集落の事を意味します。集落ごとに異なるイントネーションを持つ為、歌声を聴くと、どの集落の出身か分かるそうです。
元ちとせは奄美大島南部、30世帯ほどが暮らす集落である嘉徳で育ちます。小学校の全校生徒は4人、卒業式はたったの1人でした。幼少期より三味線やシマ唄に触れて育ちます。
中学3年生の頃に、奄美民謡大賞少年の部で優秀賞を受賞しています。高校2年生の時点でシマ唄のカセットテープ『ひしゃ女童』を発売しています。
2001年3月にカバーアルバム『Hajime Chitose』でインディーズデビュー。同年8月にはオリジナルアルバム『コトノハ』をリリースしています。
こちらの楽曲はコトノハに収録された楽曲『精霊』です。ライブ自体は2013年の映像ですが、楽曲自体はインディーズ時代のものです。当時から幻想的な世界観と、その歌声は洗練されていました。
幻想的な歌詞、世界観で大ヒットとなった『ワダツミの木』
2002年に元ちとせは『ワダツミの木』でメジャーデビューします。この楽曲のリズム隊にはレゲエの要素も含まれています。シマ唄とレゲエをミックスさせたこの曲は、当時の邦楽としては斬新なものでした。
ノンタイアップでしたが、オリコン19位にランクイン。発売から2か月後にはオリコン1位となります。最終的に84.8万枚を売り上げ、2002年の年間シングルチャートでは3位となりました。
その後も『君ヲ想フ』『千の夜と千の昼』等、多くの名曲をリリースしています。現在もライブを活動の拠点として、精力的に活動しています。
私生活では2005年に女の子、2009年に男の子が生まれており、瀬戸内の実家で暮らし、仕事の際に上京しているようですね。
『ワダツミの木』は実在した
タイトルにもなっている『ワダツミの木』はリリース直後は架空の木でした。ワタツミは日本神話において、イザナギとイザナミの間に生まれた神であり、海の守り神とされています。
後に奄美大島で新種の植物が見つかり、元ちとせの代表曲にちなんで『ワダツミの木』と名付けられました。
故上田 現氏が『ワダツミの木』の歌詞に込めたもの
『ワダツミの木』の作詞作曲は上田現が担当しています。彼は1986年にレピッシュというバンドでキーボードを担当していたミュージシャンでした。2002年に脱退し、ソロ歌手やプロデューサーとして転向しています。
この歌詞の内容は『ある女性が、人を好きになるあまり花になってしまう物語』だと彼は述べています。曲は出来たものの、タイトルが浮かばず、『月光樹』や『ルナチック』等が候補となっていたようです。
曲名を考えたのは上田現ではなく、彼と元ちとせを結び付けた森川欣信という人でした。締め切り間近にふと浮かんだのが「わだづみ」だったそうです。ワダツミは海の神の事ですが、それとは別の意味もありました。それは第二次世界大戦で戦没した学徒兵の遺書を集めた遺稿集「きけ わだつみのこえ」でした。
知る人が知れば誤解も招くと上田現は戸惑ったようですが、最終的にはタイトルは「ワダツミの木」に決定します。この楽曲が大ヒットしたのはこのインパクトのある曲名も一役買っているでしょう。
その後も精力的に活動を続ける上田現でしたが、2006年に肺癌で余命3カ月と診断されます。まだ45歳の若さでした。世間的には腰痛と公表し、音楽活動を休止します。
その後は2007年にレピッシュの20周年記念ライブに出演する等、音楽活動を再開しますが、2008年3月9日に47歳で逝去します。追憶の意味で制作されたトリビュートアルバムに、レピッシュverのワダツミの木が収録されています。
このPVの冒頭にある余白…これは「上田現はここにいる」というメンバーからのメッセージなのかもしれません。
亡くなった後も、名曲は名曲として語り継がれていくのです。