標題音楽と絶対音楽の意味と違いとは?標題とは何?
クラシック音楽は聴きますか?クラシック音楽には標題音楽と絶対音楽があります。この2つはどう違うのでしょうか?標題音楽や絶対音楽はどんなものをいうのでしょうか?いつ頃の作品のことを指すのか、実際の曲を示しながらお伝えします。
標題音楽とは?
器楽曲を聴くときに「この音楽は標題音楽だ」とか「この音楽は絶対音楽だ」とか聞くことがありますが、どういう意味なのでしょうか?
標題音楽とは音楽を作曲するときに純粋に音楽だけでなく文学や絵画など、音以外のものと結びついて作られた器楽曲です。
歌詞のあるものは歌詞が文学に明らかに結びつくため、器楽曲のみに考えられる概念です。この考え方はロマン派以降に発達してきました。
標題音楽の始まり
バロック時代のビバルディ作曲のヴァイオリン協奏曲「春」には短いソネットという詩がついています。ベートヴェン作曲の交響曲第6番「田園」にも小鳥のさえずりとか音に例えて表現していますが、標題音楽という概念がはじめてあらわれたのはロマン派の作曲家、ベルリオーズです。
それ以降、標題音楽も絶対音楽も作曲されるようになりました。
ベルリオーズの作品
ベルリオーズが1830年に作曲した「幻想交響曲」は第5楽章からできていて、各楽章にそれぞれ「夢、情熱」「舞踏会」「野原の情景」「刑場への行進」「悪魔の祝日の夜の夢」と標題がつけられています。
また曲の冒頭には「恋に狂い、生活に疲れた若い芸術家が、夢とも幻想ともつかない不思議な夢を見た。その夢はこんな夢であった」と記されています。つまり作曲家がこんな標題を意識して聞いてほしいと思い作曲した曲ということです。
そのほか聴いてみたい標題音楽
ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」はもとはピアノ曲ですがラヴェルがオーケストラに編曲しています。展覧会でいろいろな絵を見ている情景を音楽で表していて、原画が残っているものもあります。
サンサーンス作曲の「動物の謝肉祭」は有名な「白鳥」や「水族館」などがありあまりクラシックを聴いたことのない方も楽しめます。また様々な曲のパロディもあるのでどこに隠れているか探しながら聴くのも楽しめます。
スメタナ作曲の交響詩「わが祖国」の中の「モルダウ」は川の源流からどんどん流れて行って流れの激しいところや途中の村で結婚式に出会ったり、最後は大きな流れになって海に流れ込むという様子を音楽に表しています。
絶対音楽とは?
それと対照的な音楽が絶対音楽です。もともとバロック時代も古典派でも「音楽」がまずありました。標題音楽が出てきたことから「絶対音楽」という概念が出てきたのでしょう。
では絶対音楽についてお伝えしていきましょう。
絶対音楽について
音楽の始まりは喜怒哀楽を表す自然発生的のものでした。その後教会での宗教的な意味を持つものが生まれ最初は声楽から、そののち楽器の発達によって宗教音楽、バロック時代の始まりです。
その後古典派になると楽器も進歩しましたが、音楽の核となる和声や形式が整ってきてソナタ形式などができました。この作品が絶対音楽といわれる作品です。
聴いてみたい絶対音楽
バロック時代からパッヘルベル作曲の「カノン」をおすすめします。カノンとは同じような旋律をいろいろな声部で追いかけたり絡んでいる形式のことです。
古典派のモーツアルト作曲の交響曲第40番はタイトルはありませんが、よく耳にする曲です。モーツアルトの短調の交響曲はとても珍しいです。
ピアノ曲でベートーヴェン作曲のピアノソナタ第8番「悲愴」はタイトルで呼ばれることも多いのですが、これは作曲家自身がつけたのではなく、のちの人がこの曲を聴いて読んでいるものなので、これも絶対音楽音楽です。
標題音楽と絶対音楽の違いとは?
ロマン派以降標題音楽と絶対音楽は対立関係にありました。ロマン派以降絶対音楽派はブラームス、ショパン、ブルックナーなどの作曲家がいます。
また標題音楽派はワーグナー、リスト、リヒャルトシュトラウス、ベルリオーズなどがいます。
クラシック音楽初心者にとっては曲のタイトルがあったり情景が想い起しやすい音楽のほうがとっつきやすいかもしれないですね。タイトルも例えばショパンのピアノ曲には「子犬のワルツ」とか「雨だれの前奏曲」ついていますがこれらのタイトルも後の人がつけたものでショパン自身は「ワルツ6番 作品64-1」「24の前奏曲 第15番 作品28-15」のタイトルをつけていました。曲が簡単にわかるようにつけられたあだ名のようなものですね。
作曲家が明らかにタイトルをつけたかどうかが標題音楽か絶対音楽の違いなのですね。
まとめ
今の私たちにとっては音楽が楽しめれば標題音楽でも絶対音楽でもいいように思いますが、作曲家の意図を知って鑑賞すればさらに楽しめるでしょう。