【尾崎豊】ガチのファンが選ぶ尾崎豊の名曲・隠れた名曲ランキング15選

まだ26歳という若さで惜しまれながらこの世を去った、伝説のシンガーソングライター尾崎豊。10代にしてデビューを果たし、若者の心の叫びを表現する数多くの名曲を残しました。そんなカリスマ的存在の尾崎豊の名曲15曲をご紹介いたします。

記事の目次

  1. 1.数々の名曲を生み出した男、尾崎豊とは?
  2. 2.尾崎豊の名曲はなぜ人々に聴かれ続ける?
  3. 3.尾崎豊の名曲ランキングTOP15【1~5位】
  4. 4.尾崎豊の名曲ランキングTOP15【6~10位】
  5. 5.尾崎豊の隠れた名曲ランキングTOP5【1~5位】
  6. 6.尾崎豊の名曲選、いかがでしたか?

数々の名曲を生み出した男、尾崎豊とは?

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1992年にわずか26歳でこの世を去った、伝説のミュージシャン、尾崎豊をご存知ですか?
”ティーンエイジャーの代弁者“ や”反逆のカリスマ“といわれ、社会に対する反発や理想を訴えた彼の音楽は当時の若者の心を掴み、熱狂的な支持を集めました。

数多の名曲を残した尾崎豊のプロフィールをご紹介しましょう。

 

尾崎豊の生い立ち

1965年東京都世田谷区に生まれた尾崎豊は、今生きていれば54歳ですから、まだまだ現役で活躍していたかも知れませんね。

陸上自衛官の父を持ち、子供の頃から兄の影響でギターを手にするようになります。フォークソングに強い興味を持ち、小学生の頃には井上陽水やさだまさしなどのシンガーソングライターの曲をギターで弾き語りしていました。
 

高校2年の時に、音楽で身を立てていく決意でオーディションに応募し、見事ソニーのオーディションに合格します。

浜田省吾に強く影響を受けていた尾崎は、その浜田をプロデュースしていた須藤晃に気に入られ、ファーストアルバム『十七歳の地図』をリリースします。

レコード会社的には、それ程のセールスは見込めないと見られていた為、初版枚数も少なくプロモーションもそれほど行われませんでした。

それでもこのアルバムには『15の夜』をはじめ『17歳の地図』『アイラブユー』『オーマイリトルガール』そして『僕が僕であるために』など彼の代表的な名曲がたくさん詰まっています。

口コミでどんどん広まり、その後の再発盤を含めると、累計で300万枚近い売り上げとなっています。
 

本格的にミュージシャン活動を始める

『十七歳の地図』を現役高校生としてリリースした尾崎は、本格的にミュージシャンとしての活動を始めていきます。

その一方で高校3年時に、街で同級生らと飲酒をしたのち、大学生のグループと乱闘騒ぎとなり、停学処分を受けています。これがきっかけで高校をドロップアウトした尾崎は、本来自身の卒業式であった3月の15日をデビューライブの日としました。

新宿ルイードで行われたデビューライブは、定員の300人を遥かに超える600人もの動員を記録しています。

その後シングル『卒業』が過激な歌詞などで話題となり、オリコンチャートで20位にランクインするなど、尾崎の存在は広く知られるようになります。

その『卒業』が収録されたセカンドアルバム『回帰線』は若者の教祖、時代の代弁者という彼のイメージを決定付けたものとなっています。

今聴いても泣ける『シェリー』や彼の名を一躍知らしめた『卒業』、尾崎がデビュー前から歌っていたナンバー『ダンスホール』。サビの「自由になりたくないかい」以降のフレーズでファンとの掛け合いがライブで定番となっているロックンロールナンバー『Scrambling Rock’n Roll』など名曲が目白押しで、このアルバムを最高傑作に挙げるファンも多いようです。

 

10代最後にリリースした3rdアルバム『壊れた扉から』もヒットし、人気絶頂を迎えた尾崎でしたが、20歳を過ぎてくると『学校や社会への反抗や疑問』をテーマにする事に限界を感じはじめます。

楽曲が書けなくなってしまった尾崎は突然活動休止を発表し、単身渡米します。しかし、これといった収穫もなく帰国した彼は活動を再開し、新曲もないままツアーを行いますが、過労などで倒れてしまいます。

さらにその年の暮れには、薬物で逮捕されてしまいます。精神的にも相当参っていたのではないでしょうか。復帰後に『太陽の破片』という名曲をリリースし、歌番組『夜のヒットスタジオ』で最初で最後となってしまうテレビ出演を果たします。後にご紹介いたしますが、この時の魂のこもった演奏は、何かに取り憑かれているようなギリギリのところにいる凄みを感じます。

その後発売延期を繰り返していた『街路樹』をリリースし、プライベートでは結婚、長男の誕生と新たな人生が始まる予感を見せます。

2枚組のアルバム『誕生』をリリースし、オリコンチャートで1位を記録します。さらに個人事務所を設立し、その翌年には大規模なツアーを行うなど、完全に復活したかに見えました。しかし、多忙な日々の中でまたもや精神的に弱っていった彼は、何度か自殺を図る程自分を追い詰めてしまっていました。

1991年には母親が急死し、その悲しみの中リリースされた『放熱への証』は彼の遺作となってしまいます。
翌年の4月、自宅から500m程離れた民家の軒先で全裸で倒れているところを発見された尾崎は、運ばれた病院から一時的に戻った自宅マンションで容態が急変し、再び搬送された病院のベッドで息を引き取りました。享年26歳という若さで、人の何倍ものスピードで駆け抜けた人生でした。


 

尾崎豊の名曲はなぜ人々に聴かれ続ける?

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尾崎豊の名曲の数々は何故ここまで私達ファンを魅了し続け、惹きつけてしまうのでしょうか?

元気を与えるロックンロールナンバーや、泣けるバラードナンバーなどその曲調は様々ですが、彼の楽曲の根底に流れているものには、初めから一貫したブレない世界観があるのではないでしょうか。そして、それが人々の心を惹きつけてやまない、彼の武器となっているのでしょう。

不器用なまでの真っ直ぐさ、飾り気のない純粋な愛の言葉。そして世の中の矛盾に向き合い、自分に嘘をつきたくないと、もがき苦しみながら生きている等身大の青年の叫び。

そういったものに、時代を超えて今もなお共感する人が多いのも事実です。親の影響もあるのでしょうか。今の10代でも、カラオケで尾崎豊ばかり歌うという人も結構いるようです。

尾崎豊は届かない世代に対して『新しく生まれてくるものよ、お前は間違ってなんかいないんだ』と名言を残しています。

そして現在の若者の間でも、彼の歌は歌い継がれているのです。
 

尾崎豊の名曲ランキングTOP15【1~5位】

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それでは、尾崎豊の名曲をランキング形式でご紹介していきましょう。彼の名前くらいは知っているけど、曲は聴いた事がないという人は、是非ここで聴いていただきたいと思います。
 

【1位】僕が僕であるために

『僕が僕であるために』は1983年にリリースされたファーストアルバムの『17歳の地図』に収録されている楽曲です。

テレビドラマ『僕が僕であるために』、『鈴木先生』の主題歌として使用されています。

シングルカットはされていないものの、カラオケで定番曲としている人も多く、ファンから非常に人気がある楽曲です。
 

筆者もこの曲のファンで、初心者の方にも入りやすいおすすめのナンバーという事で、1位に選ばせていただきました。

『僕が僕であるために』の歌詞を見ていきましょう。

人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

ピックアップしたのはこの部分です。『僕が僕であるために』は16、17歳の青年が感じた心の情景がリアルに表現されています。

大人たちは綺麗事ばかりを並べるけど、その為に傷ついている人達もいるじゃないか!と、私は解釈しています。

『泣いている人に対して、何かを言える程、いい加減な人間にはなりたくない』尾崎豊らしい名言も残しています。
 

【2位】シェリー

『シェリー』は1987年にリリースされたセカンドアルバム『回帰線』のラストを飾る楽曲です。

神田川のせせらぎを見ながら作ったと言われるこの『シェリー』は、ライブでも必ずと言っていい程演奏されたナンバーで、アコースティックギターの弾き語りスタイルで演奏される事が殆どでした。

シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに

『シェリー』とは一体誰の事なのでしょうか?その時の恋人の事を指しているのか、過去に付き合っていた女性の事なのか、はたまた母親の事なのか。

本人の口から『シェリー』について語られる事は無かったといいますので、その答えはわからないままです。

筆者は桑田佳祐が『いとしのエリー』を作った時と同じなのではないかと思っています。つまり、語呂が良かったから使ったと。『エリー』と『シェリー』なんか似てますね。

彼の曲の中でも、カラオケで歌われる事の多い人気ナンバーです。

 

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