【乃木坂46】奇跡とも言うべき神がかった可愛い乃木坂メンバーを一挙ご紹介!
秋元康プロデュースのアイドルグループの中で、乃木坂46は特に奇跡的な可愛さを誇るメンバーだらけだということをご存じでしょうか?今回は「センター」に選ばれた回数ランキングと、人気四天王も含め乃木坂46全員のプロフィールを、現メンバーを中心に紹介します。
国民的アイドル乃木坂46には奇跡とも言うべき可愛い女の子が集結している!
乃木坂46は「美人で品のあるお姉さんグル―プ」というイメージがあります。
実際に綺麗系のメンバーがそろっていますが、今に至るまでに様々な困難を乗り越えてきました。
外見と内面の美しさを兼ね備えている乃木坂46の可愛さというのは、そういった並々ならぬ努力を積み重ねた過去があるからかもしれません。
乃木坂46のメンバーのプロフィールを一挙ご紹介
2011年8月より結成された乃木坂46は、メンバーの入れ替わりや卒業がありながら2020年3月現在43名で活動しています。
1期生~4期生のオーディション合格者で構成されている乃木坂46の43名と、元メンバーの名前などプロフィールを含め、まとめてみました。
乃木坂46のメンバー1期生のプロフィール一覧
1期生のオーディション合格者は36名でした。
2011年8月21日に合格者が発表された後、翌月の22日に山本穂乃香と吉本彩華が辞退しています。
1期生合格者で現メンバーの名前とプロフィールなどの紹介がこちらです。
秋元真夏(あきもと まなつ)
1993年8月20日生まれの、出身地は埼玉県です。
グループでは2代目のキャプテンを務めています。
芸能界に憧れはじめたのは幼稚園生の頃で、小学生の頃にはアナウンサーの高島彩に憧れていたため将来の夢もアナウンサーでした。
小学3年生の頃にいじめを受けており、トラウマを抱え周囲を信用することができなくなったながらも、前向きさを忘れず中学では生徒会副会長をつとめたり高校では生徒会長をつとめています。
また1期生のオーディションで合格はしているものの、当時通っていた高校や両親から芸能活動の許可が下りず、活動休止している時期もあったそうです。
高校を卒業後、親の反対を押し切って活動を再開しましたが、それよって他のメンバーが押し出されて落選するなどしたため、なかなかグループに馴染めずにいました。
そのような中でもめげずに活動を続け周囲に歩み寄っていたため、徐々にメンバーと信頼しあえる関係を築けたそうです。
生田絵梨花(いくた えりか)
1997年1月22日生まれで、出身地はドイツのデュッセルドルフ生まれの東京出身です。
6歳の頃ミュージカルの「アニー」を観てからミュージカル女優を目指すようになったそうです。
2007年には早くも初めての舞台に出演しており、そのままミュージカル女優としての道に憧れていたそうですが、中学3年生の頃にインターネットで乃木坂46のオーディションの情報を知って応募をしました。
乃木坂46はアイドルですが「ステージに立つ人」というところが、ミュージカル女優と共通していると感じたそうです。
なおピアノが特技で、音楽プロデューサー小室哲哉やピアニスト高橋多佳子に絶賛されるほどでした。
生田のピアノ演奏が、東京メトロ千代田線の乃木坂駅ホームで流れる発車メロディにも使われたそうです。
井上小百合(いのうえ さゆり)
誕生日は1994年12月14日、出身地は埼玉県本庄市の井上は「さゆにゃん」の愛称で親しまれています。
5人兄妹の最初の女の子として生まれ、身体が弱かった井上は入退院を繰り返す中ラジオを病室で聴くことが多かったそうです。
入院中のラジオからロッテのトッポによるコラボ企画『Toppa4』のモデルオーディション情報を得て応募し、見事合格しました。
小学生から吹奏楽部、高校では軽音楽部に所属していたそうで音楽に囲まれた毎日を送っていたそうです。
その後もバラエティ番組などに出演していましたが、雑誌で乃木坂46の1期生のオーディションがあることを知り応募して合格しました。
2013年10月には芸能活動に集中するため、高校を中退しています。
齋藤飛鳥(さいとう あすか)
日本人とミャンマー人のハーフの斎藤は、1998年8月10日に東京都で生まれました。
身長158cmながらその抜群のスタイルで雑誌「CUTiE」の元専属モデルをつとめたことがあり、現在「sweet」のレギュラーモデルです。
グループ結成前にもともと子役としてデビューしており、映画「さくらん」に出演しています。
アイドルを目指すようになったのは学校のダンス部が踊っていた曲を聴いたのがきっかけらしいです。
その曲が何の曲か気になって調べてからアイドルに励まされたり、アイドルになりたいと思うようになったと言われています。
小学6年生の時に不登校だった斎藤に、母親が乃木坂46のオーディションを受けることをすすめられたそうです。
1期生オーディションに合格した当時は最年少メンバーで、次世代のエースとも言われていました。