【東京事変】東京事変の伝説的ギタリスト長岡亮介、別名「浮雲」とは?!現在の活動まで徹底リサーチ
椎名林檎を中心に結成された伝説のバンド、東京事変。そのギタリストであった「浮雲」こと長岡亮介はどんな人物なのでしょうか?東京事変以外の音楽活動や「浮雲」という名前の由来など、気になる情報を徹底的に調査しましたのでご紹介します!
今はなき日本の伝説的ロックバンド東京事変
東京事変は2003年、椎名林檎を中心に結成されたバンドです。元々は椎名林檎のバックバンドとして結成されました。
すでにソロアーティストとして確固たる地位と人気を獲得していた椎名林檎がバンドを作るとあって、大きな注目を集めました。
実はその頃椎名林檎は音楽活動へのモチベーションが低下しており、引退すら考えるほどだったそうです。
その中で「他のメンバーのために曲を書くならできるのじゃないか」と考えたのがバンド結成のきっかけだそうです。
そんな崖っぷちのところから生まれたバンドだったのですね。
東京事変はまさに「事件」だった
大きな話題と注目を集めた東京事変は2004年9月、シングル「群青日和」でデビュー。オリコンシングルチャートで2位を記録する大ヒットとなります。
続く11月には1stアルバム『教育』をリリース。こちらもオリコン2位の大ヒットでした。
2005年1月から始まった初のツアーは満員御礼の大盛況。東京事変はまさに日本のロックシーンに起こった「事件」だったのです。
東京事変はメンバーも個性的でした。
椎名林檎の他にはまず椎名林檎のプロデューサーであり、彼女が師匠と呼ぶ亀田誠治がベーシストとして参加しています。
ドラムの刄田綴色は元々椎名林檎のサポートドラマーとして活躍していました。
キーボードのH是都MはジャズインストバンドPE'Zのメンバーとして活躍し、現在はH ZETTRIOとして活動しています。
ギタリストの晝海幹音はソロ活動の他スガシカオなどのサポートメンバーとして活動していました。
このように個性的で音楽的にも独立したプレーヤーがそろっていました。
東京事変の活動以外にも独自の活動や他のアーティストのサポート等で多忙なメンバーが多く、初ツアー後にはギタリストの晝海幹音とキーボードのH是都Mが脱退を発表します。
そして、後任としてキーボードの伊澤一葉と共にギタリストとして加入したのが浮雲だったのです。
天才ギタリストとして有名な「浮雲」こと長岡亮介
東京事変加入の経緯
浮雲こと長岡亮介は2005年9月、晝海幹音の後任として東京事変に加入します。
東京事変はここから第二期東京事変として、活動を再スタートしたのでした。
長岡亮介は元々、椎名林檎の兄であるアーティスト・椎名純平のバックバンドとして活動していました。
椎名林檎と椎名純平がコラボした企画バンドにも参加したことがあります。椎名林檎との共演はこのあたりからスタートしたものと思われます。
そして2003年には椎名林檎の3rdアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』のレコーディングに参加します。
ここまで一緒に仕事をしていたならば東京事変結成時に名前が挙がらなかったのが逆に不思議ですね。
実は東京事変初期、椎名林檎が制作したデモテープでも長岡亮介はギターとして参加しているのです。
そのため、東京事変の1stアルバム『教育』のクレジットではスペシャルサンクスとして長岡亮介の名前が記載されています。
長岡亮介は東京事変への参加を打診されたときもあまり乗り気ではなかったと言われています。
それは自分のバンドをやりたかったからということも理由だと思います。
しかし浮雲こと長岡亮介はギターやコーラスだけではなく、時にはボーカルも担当するなど、マルチな才能をいかんなく発揮します。
後期東京事変では彼の作曲した曲も取り上げられるようになり、まさに天才ギタリストとしてバンドの中で存在感を増していくのです。