「日本の有名なロックンロール」として愛され続ける『雨あがりの夜空に』とは一体?!
日本を代表するロックンロールとして、今でも歌い継がれているRCサクセションの『雨あがりの夜空に』。独特な歌詞やパフォーマンスで今でも人気の高い名曲『雨あがりの夜空に』について、歌詞や曲からその魅力を紐解いていきたいと思います。
意味深な歌詞の『雨あがりの夜空に』で有名な伝説のバンド、RCサクセションとは
日本が宇宙に誇るサイコーの”ドカドカうるさいロックンロールバンド”『RCサクセション』。RCの中でも非常に有名なナンバーである『雨あがりの夜空に』が今回のテーマであります。
日本のロック史を語る上では、避けて通る事の出来ないこのバンドが、その後のバンドやミュージシャンに与えた影響は計り知れません。
1991年に無期限の活動休止に入り、2009年にはバンドのフロントマン、忌野清志郎が宇宙に旅立ってしまったため、バンドは事実上解散となってしまいました。しかしながら、今現在でも彼らのイカれた音は瑞々しく生きていて、今日もどっかの街で歌い継がれています。まずは、聴いていただきましょう!オーケーチャボ!
ドカドカうるさいロックンロールバンド/RCサクセション
『ドカドカうるさいロックンロールバンド』ライブバージョンでお送りしました。サイコーですね。愛し合っていますね。真心ブラザーズのYO-KINGこと倉持陽一も大好きなフレーズ「悲しい気分なんか ぶっとばしちまいなよ」僕もここ大好きです。YO-KINGによるカバーも素敵ですよ。
あと、この曲は小林和生によるベースが本当に良いですね。最近のカッコいいベース=動き回る目立つベースライン、という図式には当てはまらない、とにかく無駄な事をしない、でも非常に効果的に曲を引っ張っています。漢の中の漢って感じっす。
あ、動き回るといってもスピッツの田村リーダーは別格です。あの方は本人がベースライン以上に動き回ってますから。
歌詞がユニークな『雨あがりの夜空に』には作曲までのストーリーがある
1980年にリリースされた名曲『雨あがりの夜空に』はいかにして生まれたのでしょうか?その前に、それまでのバンドの歴史を簡単に振り返ってみましょう。
1966年に中学校の同級生であった忌野清志郎(当時は栗原清志)、小林和生(リンコワッショー)、桶田賢一(破廉ケンチ)でバンド「ザ・クローバー」を結成します。これが後のRCサクセションです。
余談ですが、RCサクセションの由来はと聞かれた時、忌野清志郎は「ある日(RC)バンドを作成しよう(サクセション)」から来てると冗談めかしましたが、実際は「The Remainders of Clover 」つまりクローバーの残り物、の略です。
その後、テレビのオーディション番組に合格した3人は翌年「宝くじは買わない」でシングルデビューを果たします。その頃、RCが活動していたライブハウス「青い森」でフォークデュオ「古井戸」として活躍をしていた仲井戸麗市と出会います。
3枚目のシングルで初期RCサクセションの名曲「僕の好きな先生」もヒットし、アルバムも2枚出し、さあこれからという時に当時のマネージャーが事務所(ホリプロ)に造反し、独立して「りぼん」というプロダクションを設立します。RCはその余波を喰らう形となります。契約の関係で移籍する事も出来ないまま、事務所内で仕事を干されてしまう事になるのです。
1976年になってようやくホリプロから「りぼん」へ移籍すると、ホリプロに内緒で制作していた3rd アルバム「シングル・マン」がリリースされます。しかし、この大名盤はあまり売れずになんと廃盤になってしまうのです。
この状況にショクを受け、リードギターの破廉ケンチは鬱状態となってしまい、ギターを弾くこともままならなくなり、遂にはバンドを脱退してしまいます。
この1975年前後がバンドにとっても、キヨシローにとっても一番厳しい時期だったのではないでしょうか。
その後、新たなメンバーを迎えたRCは今までのフォーク路線からよりロックやR&Bのテイストを加えたサウンドへと変化を見せていきます。
それまでもサポートとしてRCに参加していた仲井戸は「古井戸」の解散と共に、正式に加入する事が決まり、ここから第2期RCが始まりました。
雨あがりの夜空に/RCサクセション
「オーケーチャボ!」キヨシローこと忌野清志郎は呼び、チャボこと仲井戸麗市はそれに答えてあのイントロのリフを弾きます。まるで、ミック・ジャガーとキース・リチャーズのようにね!
たくさんのアーティストに愛され、カバーされてきたこの名曲が生まれたのは渋谷にある、チャボが住む家の小さなリビングでした。
当時、常に行動を共にしていた2人は、ライブの最後に何か盛り上がる曲を作ろうぜと、チャボがリフをつまびき、キヨシローがそれに合わせ歌を口ずさんでいました。
キヨシローはその頃「シングル・マン」以降の厳しい冬の時代に、音楽的に悩みすぎて難しいコード進行の曲ばかりを作ってしまい、自分でも何が良いのかわからない様な状況になってしまっていた反省から、ローリング・ストーンズを研究していました。
ローリング・ストーンズの音楽はシンプルなコード進行であっても、ロックのダイナミズムを見事に体現していたからです。
チャボの弾くキース・リチャーズの様なリフに合わせて、キヨシローは歌い出しました。自身の愛車サニーを、女性との夜の関係を思わせるような、セクシーな言い回しで描いた歌詞はその後、日本中のロックファンの知るものとなりました。
かくしてチャボと奥さんであるフォトグラファーのおおくぼひさこが住んでいた、渋谷の6畳1間の家の小さなリビングルームで、日本で最も有名なロックンロールは産まれたのでした。
また、その頃ロンドンを賑やかせていたセックス・ピストルズにも衝撃を受け、長髪を切り落とし、髪を立てたり、奇抜なメイクやファッションをするようになります。皆さんの良く知っている“キヨシロー”の誕生です。