【14選】音楽の父、バッハの代表曲はこれ!押さえておきたい代表曲14選ご紹介!
多くの作品を生み出したバッハは日本で「音楽の父」とも呼ばれており、代表曲と言われるものだけでも数えきれないほどあります。バッハの楽曲を聞こうと思った時、何から手をつけたら良いか分からなくなることも多いでしょう。今回はバッハの代表曲を14選、厳選して紹介します。
音楽の父、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)は18世紀にドイツで活躍していた音楽家で、日本でも「音楽の父」と呼ばれているくらい偉大な作曲家です。
有名な作品が多いためクラシックに精通していない人でも、聞き覚えのある曲があるのではないでしょうか?
彼の作品の数は膨大なことでも知られています。
今回はバッハの中で比較的、有名なものやおすすめの作品を厳選して14曲まとめました。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハとは?
バッハは1685年3月31日に生まれ、彼が65歳の時の1750年7月28日に亡くなっています。
もともとはオルガン奏者として高く評価されており、作曲家というよりはオルガンの専門家として知られていました。
現在はバッハ教会と呼ばれているドイツのアルンシュタットの教会で、オルガニストや聖歌隊の指導員を任されていたようです。
生前古臭いと言われていた彼の作品たちは死後もすぐ、世間から忘れ去れることになりましたが、モーツアルト・ベートーヴェン・リストなどの著名な音楽家たちには多大なる影響を与え続けていました。
決定的になったのは1829年3月11日、作曲家メンデルスゾーンが20歳という若さで、バッハの大作を指揮したことから大変な話題となります。
以来彼の作品は高い評価を得ることとなり、世界の音楽史に名を残す偉大な音楽家の1人となりました。
バッハの有名なエピソード
バッハは偉大な音楽家としての経歴が数多くありますが、私生活のエピソードも残っています。
バッハのエピソード(1):ビッグダディーだった
バッハは生涯2度結婚しており男性11人女性9人、合計20人の父親でもありました。
うち10人は若くして亡くなってしまいましたが、そのうちWilhelm Friedemann(ヴィルヘルム・フリーデマン)とCarl Philipp Emanuel(カール・フィリップ・エマヌエル)、Johann Christoph Friedrich(ヨハン・クリストフ・フリードリヒ)とJohann Christian(ヨハン・クリスティアン)の4人は音楽の道に進み、成功をおさめています。
バッハのエピソード(2):視力が悪かった
遺伝によるものと考えられていますが、バッハは生まれつき視力が弱かったという記録があります。
晩年はほぼ盲目の状態で、麻酔なしで視力を回復する手術に挑んでいたことも有名なエピソードのひとつです。
この時の手術や薬の影響が、彼を死に至らしめた脳卒中を引き起こしたきっかけになってのではないかともいわれています。
バッハのエピソード(3):旅をしていた
バッハは勤勉であることでも有名で、非常に研究熱心な一面を持っていました。
音楽に対しても同様で、自分の作曲や演奏における見聞を広めるため旅をしていたようです。
当時の旅は電車もバスもなく、移動手段は自分の足を使うしかありません。
たびたび強盗にも遭い、過酷な道のりだったといわれています。
バッハの押さえておきたい代表曲14選ご紹介!
バッハを聞くなら押さえておきたい代表曲を、厳選して14曲まとめました。
現代音楽に用いられたりテレビ番組やアニメなどで使用されたりと、今もなお多くの場所で耳にできる有名な楽曲も多いです。
バッハの代表曲①:G線上のアリア
バッハに詳しくなくても、この楽曲は聞いたことがあるという人は多いのではないでしょうか?
1717年~1723年に作曲されたと言われていましたが1723年より後、ドイツの都市ライプツィヒにあるトーマス教会のトーマスカントル(指揮者)に就任していた時期ではないかと、今では改められています。
『G線上のアリア』で親しまれていますが、実はこの楽曲の本当のタイトルは『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』の中の第2曲である「アリア(エール)」です。
それではなぜ『G線上のアリア』と言われているのでしょうか?
この名称が付けられたきっかけは、ドイツのバイオリニストAugust Wilhelmj(アウグスト・ヴィルヘルミ)がこの楽曲を、バイオリンのG線1本のみで弾けることに気付いて編曲し披露したことでした。
バッハが名付けたわけではなく、August Wilhelmjのパフォーマンスから通称となった名前です。
バッハの代表曲②:管弦楽組曲第3番 ガヴォット
『G線上のアリア』の正体が『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』の第2番だとお話しましたが、こちらはその次の第3番の楽曲です。
このガヴォットの冒頭は日本の童謡の『まっかな秋』にも似ていると言われていますが、作曲家の小林秀雄が影響をうけていたか否かは定かではありません。
ちなみに「ガヴォット」とは、2拍子または4拍子で、中くらいから速めのテンポの舞曲(踊りに用いるか、用いることを踏まえて作られたりする曲)を言います。
バッハの代表曲③:管弦楽組曲第2番より『バディネリ』
管弦楽組曲第2番ロ短調はバッハの中でも有名な管弦楽組曲で、特に『バディネリ』が有名です。
バディネリ(badinerie)というのはバロック音楽によく用いられる単語で、歌を使わない楽器のみで構成された舞曲風の作品のことを漠然とそう呼びます。
いわゆるJ-POPやR&Bなど、音楽のジャンルのようなものです。
バディネリはラフに作られた雰囲気も持っているジャンルですが、バッハとしてはこの楽曲をそういった意味で作っているのではなく、余興(アンコール)のようなニュアンスで作ったといわれています。
バッハの代表曲④:無伴奏チェロ組曲
チェリストならば絶対に1度は弾くことになるであろう『無伴奏チェロ組曲 BWV1007-1012』は「チェロの旧約聖書」の別名を持っているほど、クラシック界におけるチェロの定番曲です。
難易度が高いわけではない分、演奏の技巧がそのまま聞き手に伝わりやすい楽曲で、競って腕の立つチェリストが演奏し録音しているのが目立ちます。
バッハの作品の中でも評価が高い楽曲であり、いろいろなシーンで流れているため、クラシックを普段聞かない方でも耳にしたことがあるのではないでしょうか?
バッハの代表曲⑤:シャコンヌ 「パルティータ第2番」より
パルティータ第2番は無伴奏バイオリンの楽曲であり、その中の「シャコンヌ」は非常に長いので抜粋して1曲としました。
1720年妻であるマリア・バルバラが亡くなった年に、作曲されたといわれています。
彼女が亡くなった時バッハはとある旅の途中で、帰宅した時にはもう葬儀も埋葬も終わっていたというエピソードもあるようです。
その当時の感情が表れているような、非常に緊張感を持った悲しい雰囲気をまとっています。
後に作曲家のメンデルスゾーンやロベルトシューマンがこの「シャコンヌ」に大変感動し、ピアノ伴奏の楽譜を作成しました。
バッハの代表曲⑥:バッハのシチリアーノ
バッハではなく息子のCarl Philipp Emanuel Bachが作ったのではないかという説もあり、未だどちらが作曲者なのか判明はしていませんが、今のところはバッハの作品として記録されているようです。
通称『バッハのシチリアーノ』と呼ばれているこの楽曲の本当のタイトルは『フルート・ソナタ変ホ長調』であり、その中の第2楽章になります。
「シチリアーノ」もまた舞曲を意味する言葉で、イタリアにあるシチリア島がルーツであり8文の6拍子、または8分の12拍子で作られている楽曲です。
バッハの代表曲⑦:小フーガト短調 BWV 578
こちらのオルガン曲も、音楽の授業などで聞いたことがある方が多いのではないでしょうか?
1703年~1707年の間、アルンシュタットの教会のオルガニストを任されていた時代に作曲されたといわれています。
ちなみに「フーガ」いうのは1つの旋律を基に、後から複数の音が基本の旋律の高さなど、少し変えながら追いかけていくことを意味する言葉です。
後から追いかける音が、基本の旋律とまったく同じように真似して追いかけていくことは「輪唱」と言いますが、フーガの場合は少し違います。
バッハの代表曲⑧:ゴルトベルク変奏曲
こちらはチェンバロの変奏曲であり全4巻ある「クラヴィーア練習曲集」の第4巻にあたる楽曲です。
出版は1741年で本当の表題は別にあります。
『ゴルトベルク変奏曲』という俗称は、この楽曲の初演者であるJohann Gottlieb Goldberg(ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク)が不眠症に悩むヘルマン伯爵に演奏したことより付けられました。
伯爵がゴルトベルク少年のピアノを聞きながら夜眠れるように、バッハに曲を書くよう依頼したそうです。
バッハの代表曲⑨:パストラーレ
この楽曲もそうですが「パストラーレ」というのは、牧人・農夫などの生活に焦点を置いた、牧歌の要素を取り入れた音楽のことです。
クリスマス音楽として親しまれていますが、日本では第3曲がアニメ・ルパン三世の映画『カリオストロの城』で使用されています。
重厚感のあるバスの音に合わせ、オルガンの旋律が流れる厳かな雰囲気の楽曲です。
バッハの代表曲⑩:主よ人の望みの喜びよ
今は鍵盤楽器でのアレンジでお馴染みになりましたが、こちらはバッハの教会カンタータ(単声・多声のための楽器伴奏付きの声楽作品)の、一番最後の楽曲です。
バッハは教会の音楽家として生活していたので、彼の作品を辿る上で教会カンタータはとても重要な位置にあります。
礼拝のため1723年7月2日に書かれたという説が濃厚です。
バッハの代表曲⑪:マタイ受難曲
マタイ受難曲の中では2幕『憐れみたまえ、我が神よ』が最も定番でしょうか?
『マタイ受難曲』はバッハの最高傑作3選に選ばれる作品です。
イエスキリストの受難を覚える習慣がプロテスタントの教徒にあり、受難の内容をより分かりやすく表現したものが「受難曲」と呼ばれています。
初演は現在彼の墓がある、トーマス教会でのことでした。
バッハの代表曲⑫:ヨハネ受難曲
『マタイ受難曲』と同じくキリストの受難をテーマに書かれた『ヨハネ受難曲』も、彼の最高峰の楽曲3選に選ばれています。
こちらも彼が後半生過ごしていたというトーマス教会にて初演された楽曲です。
一般的に『マタイ受難曲』とは対照的にする意図で作られていると解釈されており、イエスキリストが捕らえられ、亡くなり埋葬されるまでのことを描写していると言われています。
かなりの難解曲ですが、鬼気迫るものを感じずにはいられない楽曲です。
バッハの代表曲⑬:羊は安らかに草を食み
単声・多声に楽器伴奏が付く、声楽のために作られたカンタータの『楽しき狩こそわが悦び』にある『羊は安らかに草を食み』です。
バッハの世俗的カンタータの中で最古といわれています。
冒頭にあるアリアがNHKの長寿ラジオ番組のオープニングに、編曲されたものが流れ、日本で特に有名な楽曲です。
バッハの代表曲⑭:アヴェ・マリア
アヴェ・マリアはラテン語で「こんにちは(おめでとう)、マリア」を意味しており、聖母マリアに祈りを捧げる意味も持っています。
作曲家のシャルル・グノーが主旋律を付けた楽曲として、1859年讃美歌として発表されました。
シューベルトやカッチーニのアヴェ・マリアと並んで3大アヴェ・マリアとし、世界中で親しまれる楽曲です。