数多のバンドに影響を与えた「はっぴいえんど」とは?ファンおすすめの名曲も合わせてご紹介!

1970年代に日本の音楽シーンに革命を起こしたバンド『はっぴいえんど』をご存知ですか?活動期間はごく短かったものの、彼らの音楽がその後の音楽シーンに与えた影響はとてつもなく大きいものがあります。そんな伝説のバンド『はっぴいえんど』の名曲をご紹介いたします。

記事の目次

  1. 1.知る人ぞ知る伝説のフォークロックバンド「はっぴいえんど」とは?
  2. 2.「はっぴいえんど」メンバー紹介
  3. 3.ファンがおすすめする「はっぴいえんど」名曲ご紹介!
  4. 4.『はっぴいえんど』のお勧め曲まとめ

知る人ぞ知る伝説のフォークロックバンド「はっぴいえんど」とは?

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『はっぴいえんど』なんともユニークなバンド名です。何しろいきなり終わってしまうのですからね。60年代の終わりから70年代前半とその活動期間はとても短いものでしたが、その後のミュージシャンや邦楽シーンに与えた影響たるや、計り知れないものがあります。

グループサウンズの全盛期であった1969年にはっぴいえんどの前身バンド“ヴァレンタイン・ブルー”を結成、翌年にバンド名を“はっぴいえんど”に改名します。

彼らの最大の特徴はアメリカのフォークロックを思わせるサウンドに、日本語の文学的な歌詞をのせて歌っていたところにあるといえます。これは作詞を担当していた松本隆がメンバーにいた事がとても大きいでしょう。

また、メンバーそれぞれの演奏能力も非常に高く、細野晴臣と鈴木茂はティン・パン・アレイのメンバーとしてもユーミンや矢野顕子、吉田美奈子などのレコーディングに参加しています。

3枚のオリジナルアルバムと1枚のベスト盤を出して1972年に解散してしまった“はっぴいえんど”ですが、彼らの音楽は時代に早過ぎたのでしょうか、商業的にはあまり売れなかったと言われています。

当時は今より遥かに情報量の少ない時代でしたし、歌謡曲や演歌、フォークソングがテレビやラジオでヒットしていた時代でしたので、一部のロックファンを除いては殆どの人が『はっぴいえんど』の事を知らなかったのではないでしょうか。

『はっぴいえんど』再評価されるようになるのは、元メンバーがオーバーグラウンドで名前が出てきた1980年代以降になります。

大滝詠一はソロとして活躍し、81年にリリースした『A LONG VACATION』が「第23回日本レコード大賞」でベストアルバム賞を受賞するなど評価を受け、作曲家、アレンジャーとしても注目を集めるようになります。

細野晴臣はYMOのメンバーとして大成功を収め、ソロアーティストとしてもファンをつかんでいきます。

鈴木茂はギタリストとして非常に定評があり、アレンジャーやセッションミュージシャンとして多くのアーティストの作品に参加しています。

そして松本隆は太田祐美の『木綿のハンカチーフ』で注目を集め、歌謡曲の世界で売れっ子の作詞家となっていました。

 

そんな彼らが“実は過去にこんなバンドをやっていたんだ!”と音楽評論家に『発見』される形で『はっぴいえんど』のやっていた事が評価され出したのです。

その後の彼らの活躍がなければ、こんなに素晴らしい音楽が埋れてしまっていたのかも知れないのですね。
 

「はっぴいえんど」メンバー紹介

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ビートルズ並みに個性の強い4人がよく集まったものです。『はっぴいえんど』のメンバーをご紹介いたします。

細野晴臣

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細野晴臣は1947年生まれとメンバーの中では最年長です。15歳ごろからバンドを始め、立教大学時代にベースを弾き始めます。幾つかのバンドを経験後『エイプリル・フール』というバンドでメジャーデビューを果たしています。

その後『はっぴいえんど』を結成し、73年の解散までバンドではベースとボーカル、そして作曲を担当しています。細野晴臣のボーカルは低音の効いた、落ち着いたトーンでどちらかというと淡々と歌っているのが特徴です。ファンクやソウルにも造詣が深いとみえて黒っぽい、タメの効いたベースラインはハマ・オカモトなどベーシストからの支持も高いようです。
 

『はっぴいえんど』の解散後はティン・パン・アレイ、YMO、そしてソロとしても精力的に活動を続けています。
 

大瀧詠一

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大滝詠一は1948年に生まれ、2013年に惜しまれながらこの世を旅立っています。子供の頃からアメリカンポップスに夢中になり、中学生になるとレコードを集め始め、エルヴィス・プレスリーやビーチ・ボーイズなどの音楽を熱心に聴いていました。

その一方でクレイジーキャッツにも非常に影響を受けたといいます。彼の音楽に何処かユーモアを感じるのはそういった素養が関係しているのかも知れません。
 

早稲田大学に入学すると、細野を共通の友人から紹介され意気投合します。そして細野に誘われて加入した『ヴァレンタイン・ブルー』は『はっぴいえんど』と改名し、デビューを果たします。

バンドでは主にリズムギターとボーカル、そして作曲を担当しています。細野のボーカルに比べると少し荒削りな高めの声で、ニール・ヤングを彷彿とさせます。

バンド活動と並行してソロでも活動しており、『A LONG VACATION 』は名盤としてフェイバリットにあげる人も多く、『レコード・コレクターズ』が2010年に特集した『日本のロックアルバムベスト100』では堂々の1位に選ばれています。

 

松本隆

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松本隆は1949年に東京は港区で生まれました。自身が育った青山や多感な時期を過ごした六本木や渋谷界隈を『風街』と呼び、『風街ろまん』という『はっぴいえんど』のアルバムのタイトルにも使われています。

細野が組んでいたバンドにドラマーとして参加した事がきっかけで『はっぴいえんど』に加入します。松本がよく本を持ち歩いていて文学青年に見えたことから、バンドの歌詞を担当することになります。

アンダーグラウンドな漫画家のつげ義春や、渡辺武信の現代詩などに影響を受けたその文学的で独特の詩の世界は、その後の日本語ロックに強い影響を与え続けています。

解散後の活躍はめざましいもので、太田祐美の『木綿のハンカチーフ』や近藤真彦の『スニーカーぶる〜す』、さらには細野との共作でイモ欽トリオの『ハイスクールララバイ』、大瀧のソロ最大のヒットであるアルバム『A LONG VACATION』のほぼ全ての歌詞、寺尾聰の『ルビーの指環』、松田聖子のヒット曲の殆どを手がけるなど、一時代を築きあげました。






 

鈴木茂

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1951年生まれの鈴木茂はメンバーで最も若く、はっぴいえんどに加入したのはまだ18歳の時でした。

バンドではリードギターを担当しています。若いながら当時から渋いプレイを見せています。解散後は細野とキャラメル・ママを結成、後にティン・パン・アレイと名前を変えてユーミンなど多くのアーティストと共に活動をします。

セッションミュージシャンとしての活動はメンバー随一で、2006年までのデータでもアルバム、シングル参加枚数が約600枚というから物凄い数です。

ユーミンの『卒業写真』や『やさしさに包まれたなら』、沢田研二の『TOKIO』のギターもこの鈴木茂によるものです。


 

ファンがおすすめする「はっぴいえんど」名曲ご紹介!

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