【L'Arc~en~Ciel】『瞳の住人』が難解?歌詞から独自に徹底考察!
数あるL'Arc~en~Cielの名曲の中でも、瞳の住人は特に人気があります。音域の高さでも話題に登りますが、歌詞も難解と言われており、未だに多くの解釈がされています。今回は瞳の住人をリリースした頃のhydeの状況から、歌詞を考察してみたいと思います。
歌詞から見えるL'Arc~en~Cielの死生観…『瞳の住人』は何をテーマにした曲か
最初に『瞳の住人』を聴いた時、筆者は主人公が死んだものと思った事を覚えています。hydeの歌詞には死を匂わせる楽曲が沢山あるからです。
hydeの自叙伝『THE HYDE』によると、hydeは少年時代に海で溺れたり、山で自転車事故に遭う等、何度も死を実感する体験をしたと綴られています。
hydeは更にこう述べています。
俺の場合、死に関係する詞が多いと思うんだけど、結構、死を想像する事が多くて。
"自分が死んだら、どうなるんだろう"とか、"あの人はああやって死んでいったけど、実はこうだったんじゃないかな"とか。
そこには、何か遺書を書くような気持ちがあってね。元気なうちに自分の遺書を書くのはいい事だって聞いた事があるんだけど、それとほとんど一緒な感じがする。
自分が死ぬ時にどうなるのか…
ある人が死んだ時にどう考えていたのか…
それを考えて歌詞にする。hydeにとって死を思わせる楽曲はある意味で遺書と同じです。
例えばGTOの主題歌でも人気の『Driver’s High』
とにかく疾走感がたまりませんが、この曲は特攻隊をテーマにしていると言われます。
もう数えるくらいで僕らは消え失せて真暗な朝が来るね
お気に入りの服に さぁ着がえたなら駆け出して!
hydeなりの解釈で、特攻隊として飛び出した青年達の事を思って歌詞を書いたのかもしれません。憶測ですが…。
では『瞳の住人』は何を思って歌詞を書いたのか。実は過去のインタビューでその断片を知る事が出来るのです。
hydeが『瞳の住人』の歌詞に込めた思いとは
『newsmaker』2004年4月号にてL'Arc~en~Cielの特集が組まれ、『瞳の住人』についてhydeはこう述べています。
この時期忙しかったこともあって、ある時"なんでこんな忙しいんだろう"、"どこに行くためにこんな忙しい思いをしてるんだろう"ってふと疑問に思った
一つの目標に向かって真っすぐな道を歩いて行くというのは難しいし、いろんな寄り道をしながら行かなきゃいけない。"果たして今行ってる道は目標に向かっているのか"、それを美しく描いてみた詞
インタビューからはhydeの歌詞の特徴である『死』の要素はあまり感じられません。歌詞を見る限りは『愛』について歌っている事は間違いないですけどね。
ここで鍵になるのは、hydeの当時の私生活です。
hydeは2000年12月25日に、キャスターやタレントとしてマルチに活躍していた大石恵と結婚しています。
きっかけは1998年4月に共演した『うたばん』です。大石恵はhydeがずっと憧れていた女性であり、共演を経て意気投合。2003年11月11日には待望の長男玲が誕生しています。
この時期は12月に予定されていた日本武道館ライブに加え、翌年3月にリリースされたアルバム『SMILE』のレコーディングも行われています。更に子どもも産まれていたので、インタビューで述べていた『忙しさ』は並大抵のものではなかったでしょう。
『瞳の住人』がリリースされたのは2004年3月3日です。産まれたばかりの玲への思いがこの曲には注がれているではないでしょうか。