【はっぴいえんど】『風をあつめて』から漂う空気感が病みつきに。一体どんな曲なのか?
1970年、日本の音楽シーンに沢山の遺産を残したバンド『はっぴいえんど』“風をあつめて”などの名曲は時を経て今も高い評価を受け、後進に影響を与え続けています。今回は”風をあつめて“にスポットライトをあて、バンド『はっぴいえんど』を考察していきます。
街のはずれの
背のびした路次を 散歩してたら
汚点だらけの 靄ごしに
起きぬけの露面電車が
海を渡るのが 見えたんです
まず、舞台は“街はずれの路次”です。“背伸びした路次“と言うのは、ちょっと大人なお店が立ち並んでいるのでしょうか。”路地“ではなく”路次“という歌詞カードを見ないと気がつかないこだわりもポイントです。”路地“は通路などの狭い道を指していますが、”路次“は道すがら、道を行く途中という意味があります。
“起き抜けの 路面電車が 海を渡る”これぞ松本隆!とでもいうべき世界観ですね。起き抜けというのは、始発電車の事でしょう。海は実際には都会の海、つまり街並みを抜けてという意味でしょうね。
松本は渋谷駅の喫茶店「マックスロード」のトイレにあった詩人の安西冬衛の詩の落書き『てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った』からもヒントを得ていたと後のインタビューで語っています。
とても素敵な
昧爽どきを 通り抜けてたら
伽籃とした 防波堤ごしに
緋色の帆を掲げた都市が
碇泊してるのが 見えたんです
2番になって時間軸は変わらず“昧爽(あさあけ)どきですが、” 防波堤“ごしから”緋色の帆を掲げた都市“を見ています。
この曲は東京オリンピック前後の急激な都市開発による、街並みの変化を歌詞にしているそうですが、まさに”碇泊している都市“を眺めて胸を痛めているのでしょうね。そして”蒼空を翔けたいんです“と切実な思いに共感を覚えてしまいます。淡々と歌われることにより、一層その想いが伝わってくるようです。
今年、またこの東京でオリンピックが行われます。街はそれに向け急ピッチで開発が急がれていきますが、それによって失われていくものは確かにあるのでしょう。オリンピックが終わった後、私たちは何を見て、何を感じるのでしょうか。
人気のない
朝の珈琲屋で 暇をつぶしてたら
ひび割れた 玻璃ごしに
摩天楼の衣擦れが
舗道をひたすのを見たんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
3番になりますと、”摩天楼の衣擦れ“という物凄い表現が飛び出します。しかもそれがあろう事か”舗道をひたす“のです。もう、才能がさり気なく爆発しています。おそらく、都会のビルの間を吹く風の事を”衣擦れ“とよんでいるのでしょう。それが”舗道をひたす“とは、よだれが出るくらいに素敵な表現です。
この曲が東京の失われてしまった風景を歌っている事が、わかってきました。細野晴臣の低音で淡々と歌うボーカルが、感情を込めない事によって聴く側の捉え方に十分な余地を与えています。
曲調とボーカル、演奏が見事にハマった事によってこの曲が聴きやすいだけでなく、何度聴いても新鮮で、新しい発見があるものに仕上がっています。
『風をあつめて』だけじゃない!『はっぴいえんど』の名曲紹介
もちろん『はっぴいえんど』には他にも名曲がたくさんあります。その一部をご紹介いたしましょう。
空色のクレヨン
『空色のクレヨン』は『風街ろまん』に収録されているナンバーです。作詞は松本隆、作曲は大瀧詠一で、ボーカルも大瀧によるものです。
歌詞の中で突然『僕は風邪をひいてるんです』というのがあって、そこが何故か凄く好きなんです。
夏なんです
この曲も『風街ろまん』からです。作詞は松本隆、作曲は細野晴臣で、ボーカルも細野です。後に鈴木茂が作曲、ボーカルをとった『花いちもんめ』と共にシングルカットされています。
鈴木茂のギターが鳥肌が立つくらいにカッコいいですね。『もんもんもこもこの〜』というところも気に入っています。
あやか市の動物園
『あやか市の動物園』はファーストアルバム『はっぴいえんど』に収録されているナンバーです。作詞は松本隆、作曲は細野晴臣で、細野と大瀧によるツインボーカルとなっています。
この曲はくるりによってもカバーされています。『はっぴいえんど』のトリビュートアルバムに収録されていて、くるりの他にもスピッツやハナレグミ、キリンジなどそうそうたるメンバーが『はっぴいえんど』の楽曲をカバーしています。ちなみに『風をあつめて』はMy Little Loverによってカバーされています。
『はっぴいえんど』の『風をあつめて』についてのまとめ
ここまで『はっぴいえんど』の『風をあつめて』について、その歌詞の意味の考察や、他のお勧め曲をご紹介してきました。
このバンドが私たちに残したものは何だったのでしょうか?アメリカのロックに影響を受けてはいますが、それをそのまま真似するのではなく、自分達なりのスタイルに昇華させて、アウトプットしているところが革新的で確信的だったのではないでしょうか。
商業性よりも音楽性を追求し、歌詞の世界も今までの日本のロックとは明らかに一線を画しています。そのオリジナリティの高さは時代を経た今だからこそ、若いミュージシャンからもリスペクトされているのです。
細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂、松本隆とそれぞれがユニークな才能の持ち主で、その4人が短期間でも奇跡的に融合したからこそ生まれた奇跡なのかもしれません。
松本隆は1971年の『ニューミュージック・マガジン』の中でこのように言っています。
『日本語のロックに埃の被った伝統などはない。自分達のやる事が伝統になるのだ。』
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