【RCサクセション】しっとりと恋愛模様を描いた『スローバラード』について独自に徹底考察!
RCサクセションの代表作といえる名曲『スローバラード』難しい言葉は使わずとも深い歌詞と、切なく美しいメロディを、清志郎の唯一無二のボーカルが聴かせてくれる楽曲です。『スローバラード」の歌詞を独自に考察し、その魅力を存分に味わいましょう。
『スローバラード』など特徴的な歌詞の楽曲、奇抜なメイクで注目を集めた人気バンドRCサクセション
「日本語ロック」の確立やロックコンサートやライブのパフォーマンスなどにおいて、現在のバンドにも多大な影響を与え続けている「King of Rock」"RCサクセション"
ボーカルの忌野清志郎の他の追随を全く許さないその唯一無二のボーカル、パフォーマンス。そしてその歌詞や作り出すメロディはまさに天才的で、忌野清志郎の、RCサクセションの影響を受けたと公言しているアーティストは非常に多くいます。
1966年に忌野清志郎の中学校の同級生であったベース担当の小林、ギター担当の元メンバーの破廉と3人でRCの前身バンドである「ザ・クローバー」を結成します。
高校進学により、一時バンドは解散しますが、後に再結成。バンド名を「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション」(つまり、クローバーからの継続という意味)それが省略されて「RCサクセション」となります。
テレビ番組のオーディションに合格した後、『宝くじは買わない』でシングルデビューを果たします。1970年の事です。驚くべき事に、この時既に、清志郎のボーカルスタイルは出来上がっています。
その後何枚かのシングルやアルバムを出し、3rdシングルの『僕の好きな先生』がまずまずのヒットとなるなど順調でしたが、問題が起こります。
1974年に、当時のマネージャーが事務所(ホリプロ)に造反して、独立して自身のプロダクションを設立してしまったのです。しかも、そのプロダクション『りぼん』に事務所の稼ぎ頭であった井上陽水を引き抜いた形だったのです。
RCはその騒ぎに巻き込まれ、仕事を干される事となってしまいます。
しばらくまともに仕事がもらえないまま、不遇の時期が続きますが、ようやく契約が切れた1976年、ホリプロから『りぼん』に移籍します。
前年のうちにホリプロには内緒で録音していたアルバムが、今回のテーマである『スローバラード』が収録されている名盤『シングル・マン』です。
そのアルバム『シングル・マン』、そしてシングル『スローバラード』がようやくリリースできる事になりますが、何とこれらは直ぐに廃盤となってしまいます。
このアルバム『シングル・マン』の元・モップスの星勝をアレンジャーに迎え入れた音作りを「音がきちんと整理され過ぎている」と、清志郎はあまり気に入っていませんでした。
時間をかけてレコーディングをし、何とか自分たちが納得のいく出来となりましたが、ホリプロからは販売出来ず、移籍まで待たなくてはいけませんでした。
『シングル・マン』が発売された時には、既にメンバー達にとっては過去の作品となってしまっていて、モチベーションも低下していました。それに加えて事務所のプロモーションなどもあまり受けれなかった事も重なり、セールスは不調のまま、1年もたたずに廃盤となってしまったのです。
この不遇のアルバムに再び光を当てたのは、1人の女性の行動でした。それは、フォークやロック、ニューミュージックなどでこれからブレイクしそうなアーティストに注目し、ラジオや雑誌など様々なメディアを使って積極的に紹介していた音楽評論家、吉見佑子でした。
RCの新譜を心待ちにしていた彼女は、「新譜が出せないのであれば、廃盤になってしまった『シングル・マン』をもう一度ファンに!」と、「シングル・マン再発実行委員会」を設立し、自らが事務局長となってアルバムの再発売をポリドールに呼びかけました。
社会的にも注目を集めたこの運動は、最終的に自主制作限定販売という形で、都内の3店舗で細々と販売を始める事となりました。だんだんとプレスされるたびに売り切れという状況が出てきて、ついに1980年に、ポリドールから正式に再発売される事となりました。レコードの帯にはポリドールからのこんなメッセージがあります。『こんな素晴らしいレコードを廃盤にして、申し訳ありません。』