【21選】世界に衝撃を与えたマイケル・ジャクソンの知っておくべき名曲ご紹介!

類まれな歌唱力とダンスパフォーマンスで「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソン。惜しくも2009年にこの世を去ったマイケル・ジャクソンが残した名曲の中から、これは外せないというおすすめ曲を厳選してご紹介します!

記事の目次

  1. 1.世界に名を轟かせた、知らない人はいない偉人、マイケル・ジャクソン
  2. 2.【21選】マイケル・ジャクソンの外せない名曲ご紹介
  3. 3.マイケル・ジャクソンの外せない名曲~アルバム『スリラー』編
  4. 4.マイケル・ジャクソンの外せない名曲~アルバム『BAD』編
  5. 5.マイケル・ジャクソンの外せない名曲~90年代以降
  6. 6.死してなお名曲を残すマイケル・ジャクソン
  7. 7.マイケル・ジャクソンの外せない名曲・まとめ

世界に名を轟かせた、知らない人はいない偉人、マイケル・ジャクソン

Photo byivabalk

マイケルの生い立ち

マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)は1958年、アメリカ・インディアナ州ゲーリーという町で生まれました。
ジャクソン家の5男(実際には兄が一人死産しているので6男)として誕生します。
父ジョセフは仕事をしながら音楽活動もしており、ミュージシャンとして成功することを夢見ていたと言います。
ジャクソン家にはいつも音楽が溢れていてました。
兄弟たちは隠れて父親のギターを演奏して遊んでいたそうです。
彼らに音楽の素質があると気づいたジョセフは子どもたちに音楽グループとしての活動をさせ、徐々に地元での人気を獲得していきます。

マイケル・ジャクソンが兄弟たちのグループに加入したのは1963年頃と言われています。
彼らは「ジャクソン5」と名乗り、徐々に活動の幅を広げていくのです。

ジャクソン5として華々しいデビューを飾った

Photo by Michael Jacksonfan

ジャクソン5はジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、マイケルの兄弟5人によって結成されました。
1960年代、R&Bやソウルミュージックでヒットを飛ばしていたレコード会社がモータウンです。
共演したミュージシャンの推薦でモータウンのあるデトロイトに赴いたジャクソン5は見事に契約を勝ち取るのです。
1969年10月にシングル「I Want You Back(帰ってほしいの)」でデビューすると、いきなり全米チャート1位の大ヒットとなります。
続くシングル「ABC」もNo.1を獲得。これはビートルズの「レット・イット・ビー」に代わっての快挙でした。
その後もヒットを飛ばしたジャクソン5はデビューから4曲連続で全米1位という快挙を成し遂げるのです。
ジャクソン5にはマイケルの弟であるランディも加入し、後にジャクソンズと名前を変え80年代まで活動を続けていくことになります。

彼らの魅力は歌声だけでなく、ハイクオリティなダンスパフォーマンスにもあった

ジャクソン5はライブでも各地で大人気でした。兄弟揃ってのダンスも彼らの大きな魅力だったのです。
そのダンスパフォーマンスは後に、マイケル・ジャクソンのソロアーティストとしての活躍にもつながっていくのです。
プロのソングライターによる優れた楽曲、同じくプロフェッショナルなバンドによる完璧な演奏、マイケルのキュートな歌声、ジャーメインのルックス、そして兄弟のダンスパフォーマンス。
ジャクソン5を構成する魅力の数々は全米を魅了し、彼らをスターグループへと押し上げました。
マイケル・ジャクソンの偉大な軌跡はここから始まったのです。

【21選】マイケル・ジャクソンの外せない名曲ご紹介

I Want You Back(帰ってほしいの)

ジャクソン家の兄弟で結成されたジャクソン5は1969年にこの曲でデビューします。
マイケル・ジャクソンは当時若干11歳でありながらリード・ボーカルを担当し、その歌唱力で世界を魅了します。
「I Want You Back」は全米チャートで1位を獲得し、一気に世界のトップスターへと駆け上がりました。
当時の彼らが歌っていたのはプロのソングライターが書いたラブソングが中心です。この曲も、まだ幼い男の子女の子の爽やかな恋愛模様が歌われています。
ジャクソン5は後にジャクソンズと名前を変え活動を続けていきますが、彼らが大人になるにつれて徐々に自分たちの音楽を作りたいという意欲が持ち上がってくるのです。

Don't Stop 'Til You Get Enough(今夜はドント・ストップ)

マイケル・ジャクソンが1979年にリリースしたソロアルバム『オフ・ザ・ウォール』に収録された曲です。シングルとして全米チャートの1位に輝いています。
ジャクソン5時代もマイケルはソロアルバムを4枚リリースしていますが、当時のマイケルは音楽的な自由はなく、レコード会社に言われるままレコーディングで歌うだけでした。
プロデューサーのクインシー・ジョーンズと出会い、自分自身で音楽の主導権を握って制作された初のソロアルバムが『オフ・ザ・ウォール』だったのです。
この曲はマイケル・ジャクソン自身の作詞・作曲によるもので、これから自分の音楽を作れる喜びに満ちたようなダンスナンバーです。

Rock With You(ロック・ウィズ・ユー)

アルバム『オフ・ザ・ウォール』収録のシングル曲。全米チャートで1位を獲得する大ヒットとなりました。
クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンが作り上げた中でもベストソングのひとつと言われていて、多くのアーティストにカバーされています。
1980年代以降のR&Bやポップ・ミュージックのひとつの基礎を作ったとも言える曲で、数多いベスト盤でも外せない名曲です。

SAY SAY SAY(セイ・セイ・セイ)

ポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンのコラボ曲として1983年にシングルとしてリリースされ、全米チャート1位を獲得したヒット曲です。
ポール・マッカートニーのアルバム『パイプス・オブ・ピース』に収録されています。
この時期、マイケルとポールはたびたびコラボしており、マイケルのアルバム『スリラー』にもポールとのデュエット曲が収録されています。
作詞・作曲は2人が共同で行い、スーパースターの共演によるコミカルなMVも話題を呼びました。

マイケル・ジャクソンの外せない名曲~アルバム『スリラー』編

マイケル・ジャクソンが1982年にリリースしたアルバム『スリラー』は世界的な大ヒットとなり、現在までに6500万枚以上を売り上げました。歴史上最も売れたアルバムとしてギネスブックに記録されています。
そんな名作に収録された名曲をまとめてご紹介しましょう。

Beat It(今夜はビート・イット)

マイケル・ジャクソン自身の作詞・作曲による曲です。『スリラー』からの3枚目のシングルとして1983年4月に全米チャート1位を獲得しています。
この曲のMVはダンスシーンのインパクトもあり大きな話題となりました。ミュージカル映画「ウエストサイド物語」を思わせるようなグループ同士の対立を描いた物語仕立てになっています。
間奏での印象的なギターソロは当時大人気だったハードロック・バンド、ヴァン・ヘイレンのギタリストであるエディ・ヴァン・ヘイレンによるものです。
マイケル・ジャクソンはブラック・ミュージックやR&B、ロックという垣根を超えて行こうとしていたのです。

Billie Jean(ビリージーン)

『スリラー』からの第2弾シングルとしてリリースされ、1983年3月に全米チャート1位を記録しています。
この曲もマイケル・ジャクソンによる作詞・作曲で、マイケルのシングルとして最大のヒット曲となっています。
ソングライターとしてのマイケル・ジャクソンのベストソングでもあるでしょう。
「ビリージーンは僕の恋人じゃない」「あの子は僕の子じゃない」と繰り返し歌われるこの曲は、マイケル自身のストーカー被害を歌ったものではないかとの憶測が流れたことがあります。
1983年に行われた「モータウン25周年記念コンサート」でマイケル・ジャクソンはこの「ビリージーン」を歌いました。
そのパフォーマンスはマイケルが初めて「ムーン・ウォーク」を披露したステージとして伝説になっています。

Thriller(スリラー)

アルバム『スリラー』のタイトル曲であり、アルバムからの第7弾シングルとして1984年に全米チャート4位を記録しています。しかしこの曲はシングルとしてよりもMVで歴史に残る曲なのです。
『ブルース・ブラザース』などで知られる映画監督ジョン・ランディスが監督したこのビデオは約13分あり、MVというよりは短編映画のような作りになっています。
製作費も当時の一般的なMVのおよそ10倍の予算がかかったと言われています。
狼男やゾンビの特殊メイク、そして印象的な振り付けとゾンビたちを従えてのダンスシーン。どれもが強烈なインパクトを残すビデオです。
MVとしては初めて、アメリカ議会図書館で永久保存されることになった歴史的な映像です。80年代のMTV時代を象徴する曲でもあると言えるでしょう。

Human Nature(ヒューマン・ネイチャー)

アルバム『スリラー』からの第5弾シングルとしてリリースされ、全米チャート最高7位のヒットとなりました。
この曲を作曲・編曲したのは当時人気バンドだったTOTOのスティーヴ・ポーカロで、レコーディングにもTOTOのメンバーが多く参加しています。
歌詞はカーペンターズのヒット曲を多く作詞したジョン・べティスによるものです。
ニューヨークの街の中で自由に外を歩けない悲しさやいら立ちを歌ったこの曲は、当時すでにスーパースターとなりプライベートでもなかなか自由のなかったマイケルのことを歌った曲とも言われています。
プロデューサーのクインシー・ジョーンズもベストと認めるほど完璧なアレンジの曲で、数多くのアーティストにカバーされている名曲です。

マイケル・ジャクソンの外せない名曲~アルバム『BAD』編

アルバム『スリラー』の大ヒットで世界的なトップスターとなったマイケル・ジャクソン。世界中が待ち望んだ新作は5年の月日を要しました。
そうしてリリースされたアルバム『BAD』も世界中で大ヒットを記録。このアルバムからは実に5曲もの全米No.1ヒットが生まれているのです。
「Michael Jackson Bad World Tour」の一環で初の来日公演を行い、大フィーバーとなったのもこの時期です。
それでは『BAD』からの名曲・おすすめ曲をご紹介しましょう。

BAD

アルバム『BAD』の表題曲であり、第2弾シングルとして全米チャート1位を記録しています。
この曲を含め『BAD』ではマイケル・ジャクソン自身による作詞・作曲が大半を占めています。
『スリラー』よりもマイケル自身の音楽性が強く反映されたと言われる『BAD』では硬質なビートと重低音の効いたベースラインが強調されています。この曲はそれを最も象徴していると言えるでしょう。
この曲のMVもショートフィルムと言える大作で、『タクシードライバー』や『グッドフェローズ』などで知られる巨匠・マーティン・スコセッシが監督しています。
「誰がワル(BAD)なんだ?」と歌うこの曲はそれまでのクリーンなマイケルのイメージを一新しました。
それと同時に、「BAD」という言葉は英語のスラングで「カッコいい」という意味もあるのです。
「誰がBADなんだ?」という歌詞はそう考えると意味が深いですね。

The Way You Make Me Feel(ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール)

アルバム『BAD』からの第3弾シングルとしてリリースされ、全米チャート1位になっています。
マイケル・ジャクソンによる作詞・作曲で、プロデューサーのクインシー・ジョーンズは「『BAD』の中で最も好きな曲」と公言しています。
シリアスでダークな「BAD」とは違い、この曲はカラフルで明るい曲調が魅力です。
歌詞は女の子に対する気持ちをストレートに歌ったラブソングで、MVもそれに倣った内容になっています。

Another Part of Me(アナザー・パート・オブ・ミー)

アルバム『BAD』からの第6弾シングルとしてリリースされています。
元々はマイケル・ジャクソンが出演したディズニーランドのアトラクション「キャプテンEO」に使用された曲で、アルバム『スリラー』以来最初にファンが聞くことができた新曲でした。
アルバム『BAD』には当初は収録されない予定だったものが、クインシー・ジョーンズがオリジナル版に手を加えることで収録されることになったそうです。
「キャプテンEO」は色彩を失った星にたどり着いたキャプテンEO(マイケル・ジャクソン)たちが仲間(アトラクションの参加者)と力を合わせ、暗黒の女王と戦うというもの。
「君は僕の一部なんだ」という歌詞はそのストーリーに即したものですが、アトラクションから切り離して聞いてみるとマイケルからファンに対してのメッセージのようにも聞こえてきます。

Man In The Mirror(マン・イン・ザ・ミラー)

アルバム『BAD』からの第4弾シングルとしてリリースされ、全米1位に輝いています。
アルバム『BAD』の中で2曲しかない、マイケル・ジャクソン自身が書いていない曲のひとつです。
「貧しい人々から目をそらさずに、自分自身の生き方から変えていくんだ。」という力強いメッセージを持つこの曲は1985年に「ウィー・アー・ザ・ワールド」を書いたマイケル自身の生き方にも通じます。
ゴスペル調の壮大なアレンジとマイケルの見事なボーカルによってアルバムの中でも特に印象的な曲となっています。

Smooth Criminal(スムース・クリミナル)

アルバム『BAD』からの第7弾シングルとしてリリースされ、全米チャート7位のヒットとなっています。
1988年に公開されたミュージカル映画『ムーンウォーカー』でも印象的に使われています。
MVではダンスシーンの中でマイケル・ジャクソンとバックダンサーが斜め45度くらい傾くパフォーマンスがあり、一体どうやっているのかと話題となりました。
このダンスパフォーマンスは「ゼロ・グラヴィティ」と呼ばれ、マイケル・ジャクソンのコンサートでも用いられています。

マイケル・ジャクソンの外せない名曲~90年代以降

Black or White(ブラック・オア・ホワイト)

アルバム『デンジャラス』からの先行シングルとして1991年10月にリリースされ、全米チャート1位となった曲です。
タイトルや歌詞には人種差別に対する明確なメッセージが込められていて、MVにもそれは現れています。
様々な人種、年齢の人の顔がモーフィングと呼ばれる映像技術で次々と変わっていくのです。
当時はまだ自動で映像をモーフィングさせる技術がなく、1コマずつ人の手により編集作業を行ったそうです。
ちなみにこのモーフィングという技術は当時大ヒットしていた映画『ターミネーター2』にも用いられていました。

Jam

アルバム『デンジャラス』ではそれまでパートナーだったクインシー・ジョーンズではなく、テディ・ライリーというプロデューサーを起用しました。
テディ・ライリーによって広められた「ニュー・ジャック・スウィング」というスタイルを取り入れたマイケル・ジャクソンはヒップホップなどの要素も取り込み、新たな音楽性を確立していくのです。
その象徴がアルバム1曲目であるこの「Jam」なのです。
MVではNBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンと共演し話題となりました。

Heal The World(ヒール・ザ・ワールド)

アルバム『デンジャラス』からのシングルとして1992年にリリースされました。
人種差別や貧困、世界各地で起こる紛争などの問題をテーマにした曲で、MVでも様々な実際の映像が用いられています。
「マン・イン・ザ・ミラー」など、こうした政治的なメッセージを持つ曲はマイケル・ジャクソンの重要な要素で、実際に彼は「ヒール・ザ・ワールド基金」という財団も設立しています。
2001年のアメリカ同時多発テロ事件などの際にもこの曲はよく使われ、現在でも様々な場面で聞くことのできる曲です。

Scream(スクリーム)

1995年にリリースされたアルバム『HIStory』に収録された曲です。シングルとしては1995年に全米5位を記録するヒットになっています。
アルバム『HIStory』は2枚組で、1枚目がこれまでのヒット曲を収録したベスト盤、2枚目が新曲のアルバムとなっています。
1枚目はマイケルにとって初の公式なベスト盤ということで話題となりましたが、2枚目の1曲目に収録されているのがこの「Scream」です。
この曲は80年代後半から90年代にかけてスーパースターとなったマイケルの妹、ジャネット・ジャクソンとの兄妹初共演となっているのです。
MVは約7億円の予算をかけたとされ、「最も制作費のかかったミュージックビデオ」としてギネスブックに認定されています。
「俺を抑圧するな。叫びたくなる。」という歌詞は、当時色々なゴシップに悩まされていたマイケルの心情を表したものかもしれません。実に悲痛な叫びです。

You Are Not Alone(ユー・アー・ノット・アローン)

アルバム『HIStory』からの第2弾シングルとして1995年にリリースされました。
全米チャートで史上初の「初登場1位」を記録した曲として知られています。
作詞・作曲はR&BシンガーのR・ケリーによるもので、歌詞は去ってしまった恋人に対する想いを歌ったラブソングとされています。
しかしコーラス部分の歌詞の内容から、この曲はマイケルに対してファンが彼を勇気づける歌としてよく用いられています。
ゴシップに悩まされ、信じていた友人にも裏切られるなど苦悩の多かったマイケルに対してのファンからの贈りものなのです。

You Rock My World(ユー・ロック・マイ・ワールド)

マイケル・ジャクソンが生前残した最後のオリジナル・アルバムが2001年リリースの『インヴィンシブル』です。
この曲は『インヴィンシブル』の先行シングルとしてリリースされ、全米チャート10位のヒットとなりました。

ヒップホップ色の強いアルバムの中でも非常にオーソドックスなR&Bナンバーです。
MVには長年の友人でもある俳優のマーロン・ブランドが出演しています。

死してなお名曲を残すマイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンは2009年、『THIS IS IT』と題された最後のツアーを行うと発表します。精力的にリハーサルを行いますが、彼の体は限界を迎えていました。
2009年7月からのツアー開始を直前にした6月25日、マイケル・ジャクソンは帰らぬ人となったのです。
『THIS IS IT』はその後、リハーサル風景などを収録したドキュメンタリーフィルムとして上映されました。
そして彼の死後も、マイケル・ジャクソンが残したレコーディング・テープやデモテープを用いてアルバムが制作されています。

Hold My Hand(ホールド・マイ・ハンド)

2010年にリリースされたアルバム『MICHAEL』からの先行シングルです。
『MICHAEL』はマイケル・ジャクソンが次作のためにレコーディングしていたトラックを元に、プロデューサーたちが最終的な仕上げをして完成させたアルバムです。
この『Hold My Hand』はR&Bシンガー・エイコンとのデュエットで、2008年ごろにレコーディングされていたものと言われています。

Love Never Felt So Good(ラブ・ネヴァー・フェルト・ソー・グッド)

2014年リリースのアルバム『エスケイプ』からのシングルです。
元々は1983年ごろにマイケル・ジャクソンとポール・アンカの共作によって書かれた曲です。
『スリラー』の大ヒットによりマイケルが多忙になったことでレコーディングが中止になってしまったものなのです。
30年以上を経て正式にリリースされました。今聞くと若く瑞々しいマイケルのボーカルが涙を誘います。

マイケル・ジャクソンの外せない名曲・まとめ

Photo byAnnaliseArt

「キング・オブ・ポップ」の異名を持つスーパースター、マイケル・ジャクソンの名曲をまとめてご紹介しました。
マイケルがこの世を去って10年が経ちますが、彼の残した名曲たちは今も色あせずに輝き続けています。
この記事で紹介した以外にも名曲は数多くあります。ぜひ聞いてみてください。
Michael Jacksonよ、永遠に。

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