【22選】数多くの名曲を残したクイーンのおすすめ楽曲22選ご紹介!
2019年に映画「ボヘミアン・ラプソディ」が公開され、世界中にリバイバルブームを巻き起こしたUKバンド「クイーン(Queen)」。今回は、そのクイーンの楽曲からおすすめの曲を年代別にご紹介いたします。興味ある楽曲が見つかるかもしれません。
世界的人気を誇るUKバンド、クイーン(QUEEN)
1970年代に結成され、世界中を熱狂させた伝説のロックバンド、クイーン(QUEEN)をあなたは知っていますか?
最近では伝記的映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開された影響も手伝って、その人気は10代や20代の若い世代にも広がりを見せています。
クイーンはギタリストのブライアン・メイとドラムスのロジャー・テイラーが元々組んでいたバンド『スマイル』のボーカルが脱退し、知り合いであったフレディ・マーキュリーが加入した時に母体が生まれました。
その後、オーディションでベースにジョン・ディーコンが加入した1971年がクイーンの結成年ということになります。
名曲を多く残したクイーン
1973年にファーストアルバム『戦慄の王女』で全英デビューを果たした彼らの当初の評価は意外にも低く、『ロックなのに小細工が多い』『時代遅れのグラムロック』といったものでした。
その後もしばらくはメディア受けしなかったものの『輝ける7つの海』や『キラークイーン』の大ヒットで、徐々にクイーンの名は知られるようになってきます。
1975年にははじめて来日も果たしていますが、既に日本でも高い人気を得ていたようで武道館コンサートは大成功を収めています。
その年の10月に4枚目のアルバム『オペラ座の夜』をリリースしますが、その中の先行シングルであった『ボヘミアン・ラプソディ』がイギリスで9週間連続の1位となる大ヒットを記録します。
ここまでくるとメディアも彼らの実力を認めざるをえません。クイーンは名実共に時代を代表するバンドとなったのです。
クイーン(QUEEN)のメンバー紹介
現在でも有名なロックの名曲を数多く残しているクイーンのメンバーをご紹介しましょう。
フレディ・マーキュリー
クイーンのヴォーカルであったフレディ・マーキュリーは1946年、イギリスの保護国であったザンジバル島(現在のタンザニア)で生まれました。
少年時代の大半をインドで過ごしたフレディは、7歳でピアノを弾き始め、12歳頃からバンド活動を始めるようになりました。
その後イギリスに移りアートカレッジを卒業後、いくつかのバンドに参加した後、ギタリストのブライアン・メイやドラマーのロジャー・テイラーのいた『スマイル』にヴォーカリストとして加わります。
フレディの発案でバンド名を『スマイル』から『クイーン』に改名し、以降バンドのフロントマンとして圧倒的な歌唱力とパフォーマンス、類を見ない表現力と天才的なソングライティングセンスでバンドの人気を不動のものとします。
ブライアン・メイ
クイーンのギタリストとして現在も活動しているブライアン・メイは、1947年イギリスに生まれました。
大学院で宇宙工学を専攻していたブライアンは、クイーンでプロデビューするまでは、中学校の講師をしていました。現在もギタリストでありながら、なんと天文学者という顔も持っています。
そんなブライアンが使用するギターの中でも、ファンの間で有名なのが『レッド・スペシャル』という自作のギターです。このギターは自宅テーブルのオーク材や暖炉の木材を使用したオールカスタムギターでした。
ブライアンのギターサウンドの大きな特徴は、レッドスペシャルをピックではなく、硬貨を使用して演奏する独特の音作りにあります。
他の追随を許さない、その独特な演奏スタイルでクイーンの名曲の数々の印象的なサウンドを紡ぎ上げた名ギタリストは、現在でもドラムのロジャー・テイラーと共にゲストを迎えてクイーンの活動を続けています。
ジョン・ディーコン
クイーンのベースを担当したジョン・ディーコンは、1951年にイギリスのレスターシャーに生まれました。
新聞配達でためたお小遣いで、アコースティックギターを購入したところから彼の音楽家人生が始まりました。
14歳でバンド活動を始め、最初はリズムギターでしたがベースに転向し、ベーシストとしてその才能を磨きます。
チェルシー大学の電子工学科を主席で卒業した後、クイーンにオーディションを受けて加入します。ベーシストとしての力量は勿論、ディーコンの謙虚な人柄が採用の決め手と後に語られています。
クイーンのメンバーの中でも最年少で、温厚で控えめな性格のディーコンは、個性の強いメンバーの間を取り持つ、クッションのような役割も持っていました。
実際にメンバーの衝突によるバンドの解散の危機を、何度も救ったのはディーコンの働きであったといいます。
寡黙な人柄ながら、クイーンの有名曲である『地獄へ道づれ』や『ブレイク・フリー』など多くに名曲をてがけ、また機械方面に強かったことからもバンドのサウンドメイクにも多大な貢献をしています。
フレディ死後は、『彼の声無くしては、クイーンの音楽では無い』と、事実上音楽活動は引退しています。
ロジャー・テイラー
クイーンのドラマーとして、現在も活動を続けているロジャー・テイラーは、1949年にイギリス、ノーフォークで生まれました。
子供の頃から聖歌隊に入り、様々なイベントなどで人前で歌っていたロジャーの歌唱はクイーンの名曲の数々で聴くことができます。高音のコーラス部は主にロジャーによるものです。
ノース・ロンドン工芸大学を卒業した彼は、ブライアン・メイが出したメンバー募集の広告を見て応募し、クイーンの前身バンド『スマイル』を結成します。
人気の高い『RADIO GA GA』はロジャーの作詞・作曲によるもので、後期のクイーンではソングライティングでも存在感を発揮しています。
ソロ活動も他のメンバーに比べ活発なロジャーは、今までに5枚のオリジナルアルバムを発表しています。
数多くの不朽の名作を残したクイーン、知っておくべき名曲22選ご紹介
今の時代に於いても決して色褪せることの無いクイーンの名曲、有名曲を時代ごとに見ていきましょう。
ハードロックやグラム・ロックの影響を感じさせるデビュー当時から徐々にクイーンらしいコーラスワークや複雑な楽曲展開の構築美を見せた初期。
世界的な成功を収め、有名になり大きな自信をつけて、シンプルになりながらも楽曲自体の力強さを感じさせる中期。
それぞれのソロ活動や充電期間を経て、クイーンらしさを取り戻しヒットを多く出した後期と、それぞれに輝きを放つクイーンの、珠玉の名曲をご紹介いたします。
初期のクイーンおすすめ楽曲
炎のロックンロール
『炎のロックンロール』は、クイーンが1973年にリリースした彼らのデビューシングルで、ファーストアルバム『戦慄の王女』にも収録されているナンバーです。
作詞・作曲はギタリストのブライアン・メイで、歌詞は当時の彼らの考えていたことに皮肉を交えて、ユーモアを持って描かれています。
日本でも2016年にトヨタのCMソングに起用され、タイトルの『KEEP YOUR ALIVE』がキャッチコピーに使用されています。
当時はメディアでの評判はそれほど高くなく、ラジオなどでかかる事もなかった為、ランキングにチャートインする事はありませんでしたが、デビュー当時から高い演奏力と熱いハートを持っていた彼らの勢いを感じるナンバーです。
輝ける7つの海
『輝ける7つの海』は、1973年のファーストアルバム『戦慄の王女』にインストバージョンが収録され、その後歌入りで翌年に3枚目のシングルとしてリリースされた楽曲です。
セカンドアルバム『クイーンII』には歌入りバージョンが収められています。作詞、作曲はフレディ・マーキュリーで、部分的にブライアン・メイも参加しています。
シングルはイギリスのランキングで最高10位を記録した、初期のヒット曲となっています。
印象的なピアノの演奏で始まるこの曲は、その後のクイーンの躍進を予感させるには十分のクオリティの高さがあります。
キラークイーン
『キラークイーン』は1974年にリリースした3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』からの先行シングルで、『フリック・オブ・ザ・リスト』との両A面シングルとして発売されました。
本国イギリスのランキングでは2位と、初期のスマッシュヒットとなったこの曲は、アメリカでも12位と、はじめてヒットした楽曲になりました。
フレディ・マーキュリーの作詞・作曲によるこの楽曲の歌詞は、高級娼婦について書かれたものということです。
非常にポップでメロディアスで、気持ちの良いコーラスワークはいつ迄も聴いていたいほどで、この曲で日本でも多くのファンが生まれた、彼らの最も有名な曲の1つです。
ボヘミアン・ラプソディ
『ボヘミアン・ラプソディ』』は、1975年にリリースされたシングル曲で、アルバムでは『オペラ座の夜』に収録されています。
フレディ・マーキュリーの作詞・作曲による約6分のこの革命は、クイーンの、というより、ロック史を代表する屈指の名曲です。
イギリスのシングルランキングでは9週間連続で1位を記録し、日本やアメリカ、世界中で大ヒットを記録しています。
オペラ風なコーラスワークはフレディとブライアン、ロジャーの3人がオーバーダビングを何度も重ねて録音したもので、実に200人分程の声が重ねられていると言います。
コーラスの嵐やハードロック的なパートなど、この楽曲には様々な要素が奇跡的な美しさで同居しており、20世紀の楽曲の中で、最もストリーミング再生された曲として認定されています。
愛にすべてを
『愛にすべてを』は、1976年にリリースされたシングル曲で、アルバムでは『華麗なるレース』に収録されているナンバーです。
作詞・作曲はフレディ・マーキュリーで、イギリスのシングルランキングで最高2位を獲得したヒット曲です。
フレディ本人もお気に入りというこの楽曲は、ゴスペル風のコーラスがブライアンとロジャーによって加えられ、楽曲に力強い迫力を与えています。
歌詞の中でフレディは、愛する人は、誰かに見つけてもらうのではなく自分自身でつかまえるのだという、力強いメッセージを何度も聴かせてくれます。
誰かに決められた愛の形ではなく、自分自身で見つけるんだという彼の生き方が、この曲の軸となっているようです。
懐かしのラヴァーボーイ
『懐かしのラヴァーボーイ』は、1976年のアルバム『華麗なるレース』に収録されているナンバーです。
作詞・作曲はフレディ・マーキュリーで、マイク・ストーンがゲスト・ヴォーカルとして参加しています。
古き良き恋愛映画を思わせるような歌詞は、デートに向かう少年が、めかしこむ様子が描写されています。
車に乗り込み、パートナーの様子を気にしている純粋な少年の様子が伺えますが、もしかしたらパートナーも男性かも知れませんね。
高級なレストランでパートナーにワインをご馳走し、車でスマートに送る。そんな純愛を貫くオールドファッションなスタイルの男性になりたいと綴る、初期の名曲です。
タイ・ユア・マザー・ダウン
『タイ・ユア・マザー・ダウン』は、1976年のアルバム『華麗なるレース』に収録され、シングルカットされたナンバーです。
作詞・作曲はギタリストのブライアン・メイで、イギリスのランキングでは最高31位となっています。
ブライアン・メイは1975年頃に、天体物理学の論文を書く為に訪れたテネリフェ島でこの曲のリフを思いついたそうです。
ツアーでは定番のナンバーで、クイーンの楽曲の中でもハードロックテイストの強いヘヴィなナンバーとして人気があります。
中期のクイーンおすすめ楽曲
永遠の翼
『永遠の翼』は、1977年にリリースされたアルバム『世界に捧ぐ』に収録されているナンバーです。
作詞・作曲はベーシストのジョン・ディーゴンで、クイーンにしては珍しく、コーラスもハモリもなく、純粋にフレディのボーカルに酔いしれることができるロックバラードとなっています。
楽曲の主人公、サミーはバーで床掃除の仕事をしている若者で、今の生活を何とか抜け出して自由に生きていきたいと思っています。
そんなサミーに歌の中でフレディ・マーキュリーは『自分の生き方は自分で決めることが出来るんだ。
さあ、翼を広げて飛んでいくんだよ!』と語りかけるのです。
セールス的に大ヒットした楽曲ではありませんが、ファンからの人気が非常に高いのは、この曲の歌詞が多くのリスナーの共感を呼んだからでしょう。
伝説のチャンピオン
『伝説のチャンピオン』は、1977年に発売されたアルバム『世界に捧ぐ』に収録されているナンバーで、先行シングルとして『WE WILL ROCK YOU』との両A面シングルとしてリリースされました。
作詞・作曲はフレディ・マーキュリーで、イギリスで最高2位、アメリカでは最高4位を獲得した彼らの代表曲です。
スポーツの試合で使用されることが多く、特にサッカーの観客席で応援の時に歌われると、非常に一体感が出る楽曲として知られています。
WeWillRockYou
『WE WILL ROCK YOU』は、上記の『伝説のチャンピオン』との両A面シングルでリリースされた楽曲で、フランスではじめて最高1位を獲得したナンバーです。
作詞・作曲はギタリストのブライアン・メイで、『ドンドンチャッ』というリズムが終始繰り返され、それに乗せてフレディが歌い、キメのサビをみんなでコーラスするという楽曲スタイルになっています。
最後の最後に出て来るギターも効果的で、シンプルでいながら非常に完成度の高い1曲といえます。クイーンの中でもこのシングルの2曲は、最も有名で人気があります
バイシクルレース
『バイシクルレース』は、1978年にシングルとしてリリースされ、同年発表のアルバム『ジャズ』に収録された楽曲です。
作詞・作曲はフレディ・マーキュリーで、とにかく『自転車に乗りたい』と連呼するユニークな楽曲ですが、『俺はアメリカ大統領になんかなりたくはない』
『ベトナム戦争にも ウオーターゲート事件にも 関わりたくない』と彼らしい意志の垣間見れる良曲となっています。
プロモーションビデオでは沢山の裸の女性が自転車に乗って登場するなど、なかなか過激なものになっていますが、楽曲の展開の妙と相まって思わず何度も見たくなってしまいます。
愛という名の欲望
『愛という名の欲望』は、1979年にリリースされたシングル曲で、アルバムでは『ザ・ゲーム』に収録されています。
作詞・作曲はフレディ・マーキュリーで、エルヴィス・プレスリーを思わせるロカビリー風の曲調が受けたようで、アメリカやイギリスのランキングでは1位を獲得しています。
それにしてもクイーンというバンドは、どんなジャンルでも完璧にものにして自分達の音楽にしてしまうのですね。その才能にはもう、脱帽です。
地獄へ道づれ
『地獄へ道づれ』は、1980年にリリースされたシングル曲で、アルバム『ザ・ゲーム』に収録されています。
作詞・作曲はベーシストのジョン・ディーゴンで、アメリカでは最高1位を獲得したヒット曲ですが、控えめなディーゴンはこの曲を作っても、なかなかメンバーにも言えなかったといいます。
結局アルバムには収録されず、ライブだけで演奏されていましたが、そのステージを見ていたマイケル・ジャクソンからシングルカットすることを勧められ、レコーディングされたという逸話があります。
R &Bが大好きなジョン・ディーコンの演奏するベースリフやギターのカッティングは、ディスコ風で思わず腰が動いてしまいそうです。この楽曲はアメリカや全世界的にはクイーン最大のヒット曲となっています。
アンダープレッシャー
『アンダープレッシャー』は、1981年にリリースされたシングル曲で、アルバムでは『ホット・スペース』に収録されています。
クイーンとデヴィッド・ボウイとの共作となっているこの曲は、イギリスやアルゼンチンで1位を獲得しています。
ヴォーカルの低音はボウイ、高音はフレディが担当しています。歌詞やサウンドはボウイが主導権を持っていたといわれますが、どちらの良さも引き出された名曲となっています。
後期のクイーンおすすめ楽曲
RADIOGAGA
『レディオ・ガ・ガ』は、1984年にリリースされたシングル曲で、アルバム『ザ・ワークス』に収録されています。
作詞・作曲はドラマーのロジャー・テイラーです。イギリスで2位、アメリカでは16位でしたが、その他19カ国で1位を獲得した大ヒットナンバーです。
後期の彼らを代表するナンバーで、レディー・ガガがこの曲のタイトルから取られた事は有名な話です。
歌詞の『ガガ』は、ロジャーの子供がまだ小さかった頃に、ラジオを聴いて『ラジオ、カカ』といったことにヒントを得ています。
ブレイク・フリー
『ブレイク・フリー』は、1984年にリリースされたシングル曲で、アルバムでは『ザ・ワークス』に収録されています。
作詞・作曲はジョン・ディーコンで、イギリスでは最高3位を記録したヒット曲です。邦題の通り歌詞は『自由への賛歌』をテーマとしていて、南米やアフリカなどの非民主的な政府や差別に苦しんでいる人々のアンセムとして人気を博しました。
また、プロモーションビデオでは、メンバー全員が女装をし(特にフレディはトレードマークの口髭を生やしたまま!)物議を醸しました。
ワン・ヴィジョン
『ワン・ヴィジョン』は、1985年にリリースされたシングル曲で、アルバムでは『カインド・オブ・マジック』に収録されています。
作詞・作曲のクレジットはクイーンとなっていますが、原案はドラマーのロジャー・テイラーによるもので、キング牧師の演説からインスパイアを受けたと語っています。
ダンスロックやディスコ路線を追求したアルバムがセールス的にはあまり振るわず、一時期は人気が低迷したかに見えたクイーンでしたが、ライブエイドでのパフォーマンスで人気が再燃し、そのままの勢いでレコーディングに入った楽曲です。
クイーンの楽曲の中でも、パワフルでポジティブなエネルギーに溢れた後期の傑作です。
カインド・オブ・マジック
『カインド・オブ・マジック』は、1986年にリリースされたシングル曲で、アルバム『カインド・オブ・マジック』のタイトルトラックでもあります。
作詞・作曲は後期のクイーンのソングライティングで中心人物となっていたドラマーのロジャー・テイラーで、イギリスではランキング最高3位を記録したヒット曲です。
『カインド・オブ・マジック』とは、映画『ハイランダー』の主人公の説明に使われていた言葉で、それに感銘を受けたロジャーが書き下ろし、同映画のエンディングで使用されています。
IWantItAll
『I Want It All』は、1989年にリリースされたシングル曲で、アルバムでは『ザ・ミラクル』に収録されています。
作詞・作曲はクイーン名義で、リードヴォーカルはフレディですが、ギタリストのブライアンが歌うパートもあります。
イギリスで最高3位と、彼らにとって2年半ぶりにチャートインを記録したヒット曲で、彼ららしい力強い壮大なハードロックに仕上がっています。
イニュエンドウ
『イニュエンドウ』は、1991年にリリースされたシングル曲で、アルバム『イニュエンドウ』のタイトルトラックでもあります。
作詞・作曲はクイーン名義となっていて、イギリスで最高1位を獲得しています。
フラメンコギターの名手、スティーブ・ハウが参加して楽曲にフラメンコ・タッチの彩りを加えています。
6分半にも及ぶ大作で、ライブでもさぞかし盛り上がりそうなナンバーですが、残念ながらフレディのヴォーカルでのお披露目は叶いませんでした。
輝ける日々
『輝ける日々』は、1991年にリリースされたシングルで『ボヘミアン・ラプソディ』との両A面シングルとして収録されています。アルバムでは『イニュエンドウ』に収録されています。
作詞・作曲はドラマーのロジャー・テイラーです。プロモーションビデオでは、生前最後のフレディ・マーキュリーの姿が映し出されていますが、化粧をしていても痩せ細り、弱ってしまっているフレディが確認でき、ファンとしては胸が痛くなります。
それでも出来る限り優雅に振る舞い、力いっぱい歌い切るフレディの姿は涙を誘います。
フレディ亡き後のクイーン楽曲
1991年のクリスマスに、クイーンのリード・ヴォーカリストであったフレディ・マーキュリーはHIVによる免疫不全が原因となり、45歳という若さでこの世を去りました。
彼の死後、クイーンは正式に解散という形は取っていません。ベーシストのジョン・ディーコンはフレディ以外のヴォーカルでクイーンは出来ないと、活動には参加せず、事実上音楽業界からは引退しています。
ギタリストのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーはゲストヴォーカルを呼びながら断続的にクイーンでの活動を続けており、現在はアダム・ランバートと共に『クイーン+アダム・ランバート』として活動を行なっています。
NoOneButYou
『No one But You』は、フレディの死後、残された3人でレコーディングした最後の楽曲で、1997年にリリースされています。
ブライアン・メイのペンによるこの美しい曲は、当時亡くなったダイアナ妃や盟友フレディのことがテーマとなっていて、メンバーが順番に歌っているのも感動を呼びます。
クイーンの名曲22選のまとめ
確実にロック史に残り続けるであろう、名曲の数々を残した伝説的バンド、クイーンの代表曲を時代別にご紹介いたしました。
フレディの死後、30年もの年月が過ぎましたが、彼の遺してくれた楽曲やその歌声、その存在そのものは今なお眩しいほどに鮮やかに光り輝いています。
クイーンというとんでもない4人の才能が生み出した贈り物が、また多くの人に届きますように。