ドビュッシー『夢』はどんな曲?成り立ちから曲構成について独自考察

本当に、まるで夢を見ているかのような美しい曲、ドビュッシーの『夢』。この曲はどうやって弾けばいいでしょうか?
こちらではドビュッシーの『夢』について曲の背景や成り立ち、曲の構成まで詳しく解説。
練習法や弾き方もまとめています!

記事の目次

  1. 1.ドビュッシーとは
  2. 2.ドビュッシーの『夢(夢想)』はいつ頃作られた曲?
  3. 3.ドビュッシー本人は『夢(夢想)』が好きではなかった?
  4. 4.ドビュッシー『夢(夢想)』の曲構成について考察
  5. 5.ドビュッシーの『夢(夢想)』についてまとめ

ドビュッシーとは

1862年生まれ、印象主義音楽のはしり的存在

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クロード・ドビュッシーはフランス出身の作曲家です。1862年8月22日に生まれ、『ベルガマスク組曲』、『子供の領分』、『2つのアラベスク』そして今回特に取り上げる予定の『夢(夢想)rêverie』など、多くの作品をこの世に残しました。

ラヴェルなどと並んで「印象主義音楽」と呼ばれています。ロマン派が主観的、そして感情表現を重視したのに対し、気持ちよりは雰囲気や情景描写などに重きをおいたのがこの印象主義と呼ばれるものです。

しかしドビュッシー本人は印象主義音楽、という概念そのものには否定的で、象徴派だとする意見もあります。

ドビュッシーの生涯は

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1862年に生まれたドビュッシーは、8歳のころからピアノの手ほどきを受け、1872年にパリ音楽院に入学します。当時10歳、しかもここはかなりの難関で、この年は彼を含め33人しか合格者がいなかったということです。

学内のピアノコンクールに立て続けに参加するも、2年続けて2位で終わったあとは2年連続賞を取れずに終わっており、その時点で自分の才能に見切りをつけた彼はピアニストになることを諦める決心をしました。

一方で彼は作曲にも挑戦しています。1878年に『フーガ』を作曲しており、こちらが彼にとって最初の曲、と言われています。

1890年に『ベルガマスク組曲』を、そして1891年に『2つのアラベスク』を作曲、1894年には『牧神の午後への前奏曲』などを作曲。彼は晩年には音楽劇の曲や、バレエ舞曲、オペラ曲なども多く手掛けています。

ドビュッシーは1914年に大腸がんを患います。当時は世界では第一次世界大戦が勃発していました。がんを患いながらも作曲や演奏は続けていましたが、1918年に死去しました。55歳でした。

また、彼は大変恋多き人でもありました。18歳のころから、夫のいる女性と8年も不倫関係にあり、別れたあとは複数の女性と付き合ったりして1人は自殺未遂まで起こしています。

自殺未遂を起こした女性の友人であった女性(リリー・テクシエ)と結婚するも銀行家の妻と不倫、リリーもまた自殺未遂を起こしました。この銀行家の妻(エンマ)は既に彼の子を妊娠していたため、ドビュッシーは彼女を連れてイギリスへ逃避行をすることになります。

しかしこのエンマとの間にできた娘のことは彼は溺愛していました。『子供の領分』は彼女のために作られた曲です。

ドビュッシーの『夢(夢想)』はいつ頃作られた曲?

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『夢(夢想)』はフランス語、原題では「rêverie」と言います。「rêverie」とは「空想、幻想」という意味もあります。この曲は1890年に作曲されました。ドビュッシーの作った曲の中では比較的初期のころに作られたものです。

クラシックピアノ曲は時々、作曲者本人がタイトルをつけたものではない曲があります。ショパンなどが良い例で、どこにもそもそもそんな意味はないのに曲の雰囲気から後にタイトルがつけられることもあります。

ドビュッシーはほとんど自らタイトルをつけていますが、「夢想」のタイトルがぴったりくるような幻想的で美しい曲になっています。不協和音すら、ドビュッシーにかかるとそう聞こえなくなる、といいますか、時々不思議な和音が登場するのですがそれこそが「夢」とも思えるような、そんな曲になっています。

「夢想」でピンとこなくても、曲を聴けばどこかで聴いたことがある、そんな曲でしょう。

ドビュッシー本人は『夢(夢想)』が好きではなかった?

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しかしこの「夢想」には興味深い話があります。ドビュッシー本人があまり気に入っていない、というのです。どういうことなのでしょうか。

そもそもこの曲は大分初期のころに作曲されました。まだまだ彼も駆け出しの作曲家であり、経済的にも苦しかったようです。そこでそれをなんとかするために生み出された曲だ、というのです。

筆者個人的には『夢想』はとても好きな曲ですし、現在でも評価が高い曲の一つです。しかし本人は、「この手の作品は全然好きではない」「やっつけで書いたものでちっとも大したことはない」と語っていたそうです。

そこまで嫌うのは、なぜなのでしょうか。やっつけで作った曲だから未熟なもの、完成度が低いから、なのか、それとも単純に当時の苦しかった時のことを思い出すからなのか、そこは謎です。

それから、この曲は二度売りされたとか、出版社が楽譜を受け取ってからなかなか発表しなかった、ということもあったそうで、それらに対する不信感もあったのでしょう。

彼は自分の若い頃の作品が楽譜として世に出ることをあまり好ましく思っていなかったようです。

画家でも、昔の習作や落書の類が現在美術館に飾られたりすることもありますが、本人がそれを知ったらもしかしたら嫌だな、と思うかもしれませんよね。それと同じで、いくら世間が絶賛しようともドビュッシー自身が納得していない作品をこうして世に出版されることは嫌だったのかもしれません。

しかし、「夢想」は名曲だと思います。弾くことができてよかったとも感じます。

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ドビュッシー『夢(夢想)』の曲構成について考察

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