カップリング曲も最高!米津玄師「クランベリーとパンケーキ」について徹底考察
一線を画した才能で音楽シーンを脅かすミュージシャンの米津玄師さん。
「Lemon」で一世を風靡してからと言うものの、米津玄師さんの名を知らないという人を探す方が難しいのでは?と言われるほどの存在となりました。
そんな米津玄師さんですがLemon以外にも沢山のおすすめ曲があるので、ご紹介していきます!
勢いが止まらない、人気沸騰中の米津玄師
音楽界でも秀でた音楽性を持ち、その才能は老若男女様々な人々から愛されることとなった米津玄師さん。
米津玄師さんは本名で活動されていて、「よねづ けんし」さんと読みます。私は最初読めなかったのですが、そういった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
しかし2009年から2011年までは、ボカロPの「ハチ」という名義で活動されていた期間もあるのだとか。すでに名の知れていない頃から才能に惹かれて応援していたという方も少なくないということ。デビュー前からファンがつくほど目を引く音楽性を持たれていた事が分かりますよね。
そして、現在の「米津玄師」名義で活動を開始されたのは2012年。そこからいくつかの活動を続けてこられて、2018年に発売した「Lemon」が大ヒット。
「Lemon」から米津玄師さんの名が世間に轟くことに繋がったとも言えるかと思います。
米津玄師さんがボカロPとして活動されていた期間があり、米津玄師さんとして活動を始められてからもいくつかの曲を生み出して来られていたとのことなので「Lemon」で米津玄師さんを認識するまでに知らず知らずのうちに米津玄師さんの音楽に触れていたという方もいらっしゃると思います。
「Lemon」にはじまり、「パプリカ」を作られたことから子供達からも米津玄師さんをリスペクトしているという声があるほど。パプリカは子供向けの歌ではありながらも、よく歌詞を聞くと考えさせられるような言葉の言い回しもありました。
パプリカは米津玄師さん自身もセルフカバーされた事でさらなる話題となったことは記憶に新しいかと思います。
米津玄師さんの曲は日本だけでなく海を越えた世界でも評価する声が多くあり、その高い音楽性は様々な人から愛されています。
そんな米津玄師さんのヒット曲、「Lemon」に因んで、ファンの間で人気のカップリング曲についても次の段落でご紹介していきたいと思います。
大ヒット曲「Lemon」のカップリング曲、「クランベリーとパンケーキ」
ドラマ「アンナチュラル」の主題歌に抜擢されて以降、一世を風靡する人気作となった米津玄師さんの「Lemon」。
レモンの果実の酸味よりも苦味をリアルに表現したこの曲は、ドラマ「アンナチュラル」ともリンクする部分があったことから瞬く間に人気曲へと成長していきました。
そんな「Lemon」ですが、カップリング曲の「クランベリーとパンケーキ」という曲もファンの間で大変大きな人気があることをご存知でしょうか?
クランベリーとパンケーキは、非常に特殊な感覚をもたらす曲だと感じます。一見サラッとしていますが、あとから聴くととにかく中毒性が高い。数時間ずっと再生されていても飽きないので、勉強などをしながらでも聴いていたいと感じる曲です。
「Lemon」が世間的には有名となりましたが、ファンの間ではカップリングであるクランベリーとパンケーキの方を押しているという声も多くありました。
そう考えるとどんな曲なのか、気になってきませんか?
クランベリーとパンケーキの内容が気になり始めた!という方のために、次の段落ではクランベリーとパンケーキに懸ける想いをまとめ、かつ曲について考察していきたいと思います!
「クランベリーとパンケーキ」に込められた想いや意味は?
こちらがクランベリーとパンケーキの動画になります。
公式動画サイトで紹介が無いようなので米津玄師さんのカバーをされている方の動画を紹介させてください。
ご本人ではありませんが、コメント欄でも賞賛されているとおり米津玄師さんの歌い方と似た部分があると感じました。
こちらも魅力的なので宜しければご覧下さい。
クランベリーとパンケーキは、二日酔いの気分を表現した曲なのだと米津玄師さん自身が表現されているそうです。
朝まで飲み歩いて、そのまま眠って起きたら眩しすぎる太陽と怠さのある朝が来る、そんな環境を曲にしたいと発起して書き上げたのがこの「クランベリーとパンケーキ」だと言います。
歌詞をゆっくり読み返してみると二日酔いの朝感じる感情や状況とリンクしているように感じられましたが、初めてクランベリーとパンケーキを聴いたときにはそのような背景がある曲だという認識はありませんでした。
眼鏡をかけると過敏に見え過ぎて疲れてしまうことがあるけれど、その点をお酒が調整してくれるのだと米津玄師さんは考えているそう。
物事を考えすぎることのリミッターとしてほどよく丸く考えられるようにする為にお酒を呑む、という考えが非常に哲学的で面白いと感じます。お酒を飲みすぎることへのリミッターをつねに意識していなければならないという考えは耳にしますが、その逆は珍しく感じられますね。
そういった考えを持ちながら米津玄師さんがお酒を夜に飲んだあとの朝を、どう表現しているのかがこの曲から見えてきます。
「クランベリーとパンケーキ」の考察
それでは以下が歌詞の考察となりますのでご覧下さい。
あくまで筆者の私から見た考察なので、米津玄師さんの本意とは違うかもしれません。ご了承ください。
不意に見かけたブロンズの女神の お臍に煙草擦り付けて笑う
思い返せば馬鹿げている 大体そんな毎日
その日限りの甘い夜を抜け
今じゃ彷徨う惨めなストーリーライター
誰かわたしと踊りましょう なんてその気もないのに
一夜、お酒を飲んで自分を失いかけた頃に溺れた甘い夜を思わせる歌い出し。ブロンズの女神、という表現がオシャレでまず惹かれますよね。
お酒の世界にいる時には夢心地だけど、意識がはっきりしたら「馬鹿げていたな」と感じるのも納得です。
また、「ストーリーライター」というのは米津玄師さん自身のことを指しているのではないか、と私は感じました。
ほどよい素面との境目がすでにこの数秒で表現されてます。
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
クランベリーのジャムでも作ろうね
パンケーキと一緒に食べようね ほら丁寧に切り分けて
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
全部頬張って隠してしまえ
やがて熱さにも耐えかねて
嗚呼きみは吐き出した
ヒッピヒッピシェイク、ダンディダンディドンという部分はノリというか、ここでリズム感を一気に加速させてきますね。
主人公だけではなく、こちらまで乗せてくる中毒性があります。
丁寧に切り分けて、という歌詞は、この夜のお酒を飲んだ世界をともに共有しようよという意味合いなのではないかと感じました。
そしてこの、「吐き出した」という部分。
ここはなぜ吐き出したと米津玄師さんが表現したのか知りたい…という声が多くありました。
私と同じように曲考察されている方の意見をいくつか拝読したのですが、それぞれ違う解釈で面白いなあ…と思いました。
私の個人的な意見としては、「同じ温度で時間を共有しようと提案されても、それには追いつけないわ」という意味では無いかと感じました。他の方の意見も面白かったので気になる方はチェックしていただきたいと思います。
戯れ哀れハメ外すあまり 足滑らせて砂を噛むばかり
憶えちゃいない痣だらけ 大体そんな毎日
廃墟だらけのメルヘン市街じゃ マセガキ達が隠れてキスする
涙交じりの恋になりませんように
お酒を飲み歩く夜、羽目を外していたことさえ記憶にない。
昨夜なにをしたんだろう?そんなことを思ってももう後の祭り、という世界が浮かんできました。
マセガキ達のように、無垢な恋愛感情を持ったペアが夜のことを思い出して後悔しないようにという意味合いがあるのではと思いましたが、なんだか違う解釈もある気がします。
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
ランドリーまで歩いてこうね
汚れたシーツを洗おうね ほら丁寧に取り分けて
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
もう一度浮かれた祈りの方へ
こんな馬鹿な歌ですいません
嗚呼毎度ありがたし
ランドリーまで歩いて、汚れたシーツを洗おう、という描写はそろそろ意識がはっきりとし始めた朝をイメージしているのではないかと感じました。だんだんと昨夜のできごとが脳内に戻り始めたことで、少しずつ清算していきたくなる。中には忘れてしまいたいと願うような夜もあるかもしれない。だから自分でランドリーまで歩いて、そして洗いたい。そんな心情が私の中には浮かびました。
とはいえまた夜が来ればあの浮かれた女神の方へと出向いてしまうと触れつつも、酔っている時の歌、であるクランベリーとパンケーキをこんな歌だと表現して、すいませんと歌詞に入れてしまう米津さんのお茶目さも魅力的だなあと思います。
微睡んでいたい きみみたいに この宇宙が 終わるまで
微睡んでいたい きみと一緒に この世界が 終わるまで
狡いですね。歌詞に込めたメッセージが非常に甘く文学的でずるいなあと思ってしまうのは私だけでしょうか。
甘く柔い、夜に出会った相手のように自身もなりたいと表現して、かつこの世界が終わるまで一緒にいたいという壮大なフレーズだなと感じました。
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
クランベリーのジャムでも作ろうね
パンケーキと一緒に食べようね ほら丁寧に切り分けて
ヒッピヒッピシェイク ダンディダンディドンで
全部頬張って隠してしまえ
やがて熱さにも耐えかねて
嗚呼きみは吐き出した
ここは先程までに触れてきた部分でも流れてきたフレーズですね。
しかし私個人的な解釈に過ぎないのですが、「全部頬張って隠してしまえ やがて熱さにも耐えかねて 嗚呼きみは吐き出した」の部分は、最初に出てきたおなじフレーズの部分とはちがう意味があるのではと解釈しました。
初めの方よりもっとスカッとした気持ちで言い切った思いというか、そのように私は解釈したのですが皆さんはどうでしょうか。
こんな馬鹿な歌ですいません
嗚呼毎度ありがたし
最後にもまた「こんな馬鹿な歌ですいません」「嗚呼毎度ありがたし」というメッセージで締めているのは、米津玄師さんからファンの方々へのメッセージなのだろうと私は感じました。
歌ひとつひとつにファンの方への思いが感じられますよね。
まとめ
今回はファンの間で大人気の米津玄師さんの曲、「クランベリーとパンケーキ」についての紹介や曲考察を書かせていただきましたが、いかがだったでしょうか?
米津玄師さんといえば「Lemon」で爆発的なブームとなり、世に知れ渡るきっかけとなったイメージがあります。
しかし他にも多くの話題曲を生み出されているからこそ、その才能がこれからも永く愛されていくのではないかと思いました。
実際、この度Lemonのカップリング曲としてファンの間で人気を博しているという「クランベリーとパンケーキ」の歌詞を一粒一粒見させていただくと、同じフレーズが繰り返されていたりすることから非常に中毒性のある曲だと感じました。
そしてそのいくつかの表現はとても捻られていて、様々な考察ができるということ。
ファンの方々が考察されているものもいくつか拝読しましたが、全くおんなじ考察は無いように思えました。
ひとつの曲からこんなに幾つもの考察が生まれるということは、その曲にそれだけの不思議な魅力があるからだと感じます。
私が今回考察したものが全くの的外れであるかもしれませんが、米津玄師さんのみぞ知る答えがどのようなものなのかとても気になります。
長文記事ではございましたが、お読みいただいた皆様ありがとうございました。