【BRAHMAN】高校野球をさらに熱くした名曲『SEE OFF』について徹底考察!
日本のハードコアパンクシーンを代表するバンド、BRAHMAN。BRAHMANの曲で最もよく知られているのが高校野球の応援でおなじみの名曲『SEE OFF』です。『SEE OFF』はいつから応援に使われるようになったのか?歌詞の意味は?など徹底的に考察します!
日本のハードコアパンクバンド、BRAHMAN
BRAHMANの結成は1995年。翌1996年にCDデビューします。
BRAHMANのメンバーはTOSHI-LOW(ボーカル)、KOHKI(ギター)、MAKOTO(ベース)、RONZI(ドラム)の4人。
1996年に現在のメンバーが揃って以降、メンバーチェンジなく20年以上活動しています。
メロディック・ハードコア、いわゆるメロコアと呼ばれるスタイルを軸に、民族音楽の要素を加えた独自のミクスチャーサウンドを追及しています。
HI-STANDARDとともにAIR JAM世代の中心として人気を博し、現在もシーンのトップに君臨するベテランバンドです。
東日本大震災以降は積極的にチャリティーや復興支援活動に参加しており、MCでも熱いメッセージを伝えるようになっています。
彼らを兄貴分と慕うバンドやアーティストも多く、今もなお日本のハードコアシーンを代表するバンドとして活躍しています。
高校野球でよく耳にするBRAHMAN『SEE OFF』
熱狂的なファンの支持とライブの動員数、アルバムセールスを誇るBRAHMANですが、一般的に認知されているようなヒット曲はありません。
その中で、最も多くの人に知られているであろう楽曲が『SEE OFF』です。
『SEE OFF』は1998年リリースの1stフルアルバム『A MAN OF THE WORLD』に収録されています。
シングルとしてリリースされたわけでもない『SEE OFF』がなぜ多くの人に知られるようになったのでしょうか?
それは、高校野球の応援歌として使われるようになったからなのです。
『SEE OFF』が高校野球の応援に使われるようになったのはいつから?
BRAHMAN『SEE OFF』を最初に高校野球の応援に使ったのは茨城県立日立一高と言われています。
2001年、当時高校3年生だった野球好きの女子生徒が友人たちを誘って応援のためのチアを結成しました。
元々HI-STANDARDやBRAHMANなどのメロコア・パンクが好きだった彼女は5回のグラウンド整備中に流す曲として「SEE OFF」の替え歌を歌ったそうです。
その際の歌詞は「さぁ燃えろ白亜の球児たち 今こそその時 栄光の火をかざし いくぞ甲子園」。
元の歌詞の「to the end」が「甲子園」に聞こえるという理由でこの替え歌を作ったそうです。
この年の日立一高は残念ながら4回戦で敗退してしまいますが、ここからこの替え歌は思いもよらない広がりを見せていくのです。
翌2002年の茨木県大会ベスト8で日立一高と対戦した常総学院がこの『SEE OFF』を聞いてカッコいいと思い、自校の応援に取り入れたのです。
そして2003年夏の甲子園で、常総学院は見事に優勝を果たします。決勝をはじめ、この大会で常総学院応援団が『SEE OFF』を演奏し続けたことで一気に全国へと広まっていきました。
今では高校野球応援歌のスタンダードとして、「紅」「ジョックロック」などの定番曲と並ぶ人気となっているのです。
BRAHMAN『SEE OFF』の歌詞を和訳と合わせて徹底考察!
それでは『SEE OFF』の歌詞を見ていきましょう。「SEE OFF」とは「見送る」「受け流す」といった意味の言葉です。
歌詞の引用の後に和訳をつけています。かなり意訳もありますが、おおよその意味をつかむ参考にしてください。
Going to write down the sun with your dried up cheek
You who gone far away from me
To the voice that had been left there
And going to the end
(和訳)
乾ききった頬で、太陽の光を受ける君
僕のもとから遥か遠く離れている
残された声は、終わりを告げている
『SEE OFF』に限らずBRAHMANの歌詞は抽象的な表現が多く使われています。
そのため、歌詞の真意をとらえることは非常に難しいのです。あくまでも一つの解釈としてお読みください。
さて、冒頭の歌詞ですがいきなり解釈が困難な内容です。
少なくとも「僕」と「君」という登場人物がいることと、「君」が遠く離れて行ってしまったことはわかります。
希望に満ちた明るい歌詞には思えません。むしろ、絶望や諦めのような感情が感じられます。
Without a clue of what happened to you who wail
I don't give a shit and I'll see your back
(和訳)
激しく泣く君に何があったのかはわからない
僕は何もできず、君の後ろ姿を見るだけ
The eyes with no sight - what should I show?
The ears with no sound - how can I tell you something?
(和訳)
何も映らない瞳に何を見せればいいのだろう?
何も聞こえない耳に何を語ればいいのだろう?
泣いている「君」に対して何もできない無力感。
そして何も映らない瞳や何も聞こえない耳に対して思いを伝えられないもどかしさと虚無感。
コミュニケーションの不在とそこに対するとてもネガティブな認識が表れている気がします。
"I tried my best", the worst thing in life
Human existence surpass dignity... What the fuck
(和訳)
「最善を尽くした」なんて人生最悪の出来事だ
人間の存在が尊厳に勝るだなんて、バカげた話だ
「最善を尽くした」という言葉が何に対するものなのかはわかりません。
しかしここで言いたいのは結果はどうあれ「最善を尽くした」という言葉で全てを良かったことにしてしまう風潮や空気に対する疑問なのだと思います。
人間であるということだけで何がしかの価値が担保されるわけではありません。
何を考え、どう生きるのか。人間としての尊厳があればこそ、人は自らの存在意義を見出せるのではないでしょうか。
The eyes with no sight - there is no naked truth
The ears with no sound - buzzing is all you can hear
(和訳)
何も映らない瞳 そこに本当の真実はない
何も聞こえない耳 そこに聞こえるのはどうでもいい音だけ
『SEE OFF』は周りに流されずに人としての尊厳や高潔な精神を持ち続けることの困難さとその決意を歌った曲ではないかと思います。
そうした姿勢は時に周囲との摩擦や軋轢を生むでしょう。
「君」というのはそうして離れていった人々全体を指しているのかもしれません。
離れていきたければ離れればいい。僕は君を「SEE OFF=見送る」だけだよ、ということなのでしょう。
非常に深い歌詞だと思います。
BRAHMAN『SEE OFF』についてまとめ
BRAHMANの名曲『SEE OFF』についてご紹介しました。
こんな重く深い歌詞の曲が巡り巡って高校野球の応援に使われるというのはとても面白いですね。
BRAHMANは他にも素晴らしい曲がたくさんあります。
ぜひ聞いてみてください。