浜田省吾の素顔が知りたい!プライベートを徹底解剖

デビューしてから40年以上の長きにわたって楽曲を発表し続けており、人気の男性歌手「浜田省吾」。テレビ出演もほとんどなく、彼の素顔や性格など世間に知られていない部分も数多くあります。今回はそんな浜田省吾の素顔について紹介していきます。

記事の目次

  1. 1.浜田省吾の基本的なプロフィール
  2. 2.漢の憧れの代名詞『浜田省吾』
  3. 3.浜田省吾の最近のライブ活動
  4. 4.浜田省吾の引退の噂は本当?

漢の憧れの代名詞『浜田省吾』

経歴

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色々な音楽に触れた学生時代

浜田省吾さんは、1963年頃にビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いて衝撃を受け、姉が誕生日プレゼントに貰ったギターを取り上げてギターを始めました。この当時は小学生でしたのでまだギターとの出会いははやかったようです。

中学生、高校生の時にはビートルズ以外の洋楽にも興味を示し、特にビーチボーイズなどのサーフィン&ホットロッド系の楽曲が好みで、ラジオにかじり付いて聴いていたようです。またレッドツェッペリンなどもよく聴いていました。

苦労した下積み時代

その後、21歳の時に、地元の仲間と「愛奴」(あいど)と言うバンドを結成し、活動を始めています。

このバンドでは浜田省吾さんはドラムを担当していました。そして、1年間はウェイターのバイトをしながらバンドの練習に明け暮れて、徐々に地元の音楽プロデューサーなどに評価されて行きます。

そんな努力の甲斐あって、吉田拓郎さんのバックバンドとして活動するようになると、何度か『ミュージック・フェア』などのテレビにも出演するようにもなりました。
1975年にはバックバンドでは無く「愛奴」としてのデビューが決まり、シングル「二人の夏」でデビューを果たしますが、人気は出ることはありませんでした。その後音楽性の違いを理由に一年足らずでで脱退することになります。

浜田省吾としてソロデビュー

1976年4月21日にアルバム『生まれたところを遠く離れて』とシングル「路地裏の少年」でソロデビューを果たします。当時の枚数は3000枚発売と華々しいデビューとはかけ離れたものでした。
そして、全国でのライブ巡業を始めます。お客さんは数十人ということもあり、場所もライブハウスではなくスーパーの催し物での演奏なんてこともありました。
周囲からは当時流行っていた都会的なポップな曲での方向性を推していましたが、これを拒否。ロック志向を貫きました。

ヒット曲を輩出し、国民的アーティストへ

ヒットに恵まれない生活がデビューしてから3年続きますが転機が訪れます。1979年7月1日、日清カップヌードルのCMソングとして書いたシングル「風を感じて」が初のスマッシュ・ヒット(オリコン最高25位、売上10万枚)。ホールコンサートも満員になり、歌手活動が軌道に乗り始めます。
1980年代ではライブ活動は年間100本近いペースで勢力的に活動を進めていきます。1982年には成功したアーティストの証ともいえる武道館にてコンサートを成功させます。そして1986年9月4日に発売された2枚組アルバム『J.BOY』がソロデビュー10年目にして初のオリコン・アルバムチャート第1位(4週連続)を獲得。
日本を代表するアーティストの仲間入りを果たします。90年代には「悲しみは雪のように」が1992年のテレビドラマ『愛という名のもとに』の主題歌として採用されオリコンチャートでは通算10週一位を記録。170万枚の大ヒットとなりました。

代表曲

悲しみは雪のように

誰もが 泣いてる(I'm crying for you)
涙を人には見せずに(You're crying for him)
誰もが 愛する人の前を(He's crying for her)
気付かずに通り過ぎてく(She's crying for me)

1981年11月21日に発売されたシングル曲で、アルバム『愛の世代の前に』やベスト盤に収録されています。1992年のテレビドラマ『愛という名のもとに』の主題歌として採用されオリコンチャートでは通算10週一位を記録。170万枚の大ヒットとなりました。
浜田省吾さんのシングルで最大のヒット曲です。おそらく聴いたことがないという方はいないのではないでしょうか。この年のシングル売上ランキングでは2位を記録。

もともとはアルバム『愛の世代の前に』のシングルカットされた曲ですが当時はヒットしませんでした。そのためこの曲はアルバムバージョンとリメイクバージョンの2種類存在します。

MONEY

Money Money makes him crazy
Money Money changes everything
いつか奴等の 足元に BIG MONEY
叩きつけてやる

1984年10月21日に発売されたアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』に収録されています。

シングルとして発売されていないものの、浜田省吾の楽曲の中では知名度の高い曲です。ファンからの人気も高く、コンサートでは必ずと言っていいほど歌われている。また、コンサートでは歌詞の一部を女性客が歌うことが恒例となっています。
タイトル通り、「金」をテーマにした珍しい楽曲です。あまり曲のテーマとしては使われませんね。お金儲けに走ったり、年収を自慢するとイメージが悪く、「金」というもの自体がネガティブに捉えられがちです。当時は日本がバブル経済で好景気でしたので、あえて「金が欲しい」と歌う楽曲を作るに至ったそうです。
歌詞の中に高級品の代名詞として『純白のメルセデス』や『ドン・ペリニヨン』が登場しますが、ドンペリはこの曲で高級な酒というイメージが定着しました。

もう一つの土曜日

昨夜 眠れずに泣いていたんだろう?
彼からの電話 待ち続けて
テーブルの向こうで 君は笑うけど
瞳ふちどる悲しみの影

「もう一つの土曜日」は、1985年5月22日にリリースされたシングル「LONELY-愛という約束事」のB面に収録されていた楽曲です。
オリコン週間ランキング16位を獲得シングルです。B面にも関わらず人気のある楽曲で、浜田省吾さんの代表的なバラードのひとつです。カラオケでも人気のある曲でJOYSOUNDの浜田省吾さんのカラオケ人気曲ランキングでは1位を獲得しています。

浜田省吾の最近のライブ活動

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ファンクラブ限定を中心に現在もライブ活動

全盛期には年100回ペースでのコンサートツアーを開催していましたが、近年はファンクラブイベントなどを挟みながら間隔が空いてのツアー実施となっています。
最近では2016年に前年に発売されたオリジナルアルバム「Journey of a Songwriter~旅するソングライター」のコンサートツアーが最後です。その後はファンクラブ限定のコンサーツツアーを実施。ファンクラブ限定ですが、2019年は14都市24公演という規模での

開催でした。ファンとの交流を大切にしながらライブ活動を続けています。

最近のアルバムリリース

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オリジナルアルバムのリリースは2016年に発売された「Journey of a Songwriter~旅するソングライター」が最後です。その後ミニアルバムを数枚発表しています。毎年ファンクラブ限定も挟みながらコンサートツアーを実施していることから、曲の制作活動ではなくライブ活動に現在は重点を置いてます。

浜田省吾の引退の噂は本当?

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今のところ引退の噂はなし!

浜田省吾さんは今年でなんと年齢は67歳。
もうすぐ70歳近いですが全く見えませんね。

年齢的に引退などあるのではと心配になりますが、今のところ引退の噂はなく現在も活動中です。2019年もコンサートツアーを実施しています。
最近のライブでも3時間近い長時間のライブを行なっており若いアーティストにもまだまだ負けていません!

かつてあった引退の噂

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1990年に発売された12枚目のアルバム「誰がために鐘は鳴る」の最後に収録されている曲「夏の終わり」の歌詞には浜田省吾さんの引退が示唆されているのではないかという噂がありました。
歌詞には車やギターを売り払って海辺の町で一人暮らそうと決意する男が描かれています。

歌詞は歌手を引退することを想起させるものであり、この曲を発表するまでに「もう歌うべきことは歌ってしまった」という思いがあったらしく、その思いが歌詞に現れているようです。
現在も歌手活動は継続中、本当に引退を考えていたかどうか真相は不明です。

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