チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」について解説!
ロシアの作曲家「ピョートル・チャイコフスキー」の代表曲である交響曲第6番「悲愴」。この曲が誕生した背景や経緯は、いったいなんだったのでしょうか。本記事では、チャイコフスキーの「悲愴」について解説いたします。この記事を読んで、「悲愴」について知ってみましょう。
チャイコフスキー「悲愴」とはどんな曲?
交響曲第6番「悲愴」は1893年10月16日に初演された楽曲で、チャイコフスキーにとって最後の大作となった楽曲です。
この曲の着想自体は1891年にあったのですが、途中まで書いたところで破棄してしまい、その曲はのちに「ピアノ協奏曲第3番」として作曲されました。
しかし、この「ピアノ協奏曲第3番」はチャイコフスキーによって全曲は完成されませんでした。
チャイコフスキーと「悲愴」
チャイコフスキーは1840年5月7日にロシアで生まれ、1866年から活動した音楽家です。代表作には「悲愴」以外にも、バレエ三部作として「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」といった楽曲があります。
生前、あまり評価されず、神経質だった性格のためかチャイコフスキーはうつ病を12回ほど経験したと言われております。その経験をもとに描いた楽曲が「悲愴」だと言われております。
ちなみに、ドイツの精神科医であるミューレンダールは、精神病院に入院している患者に音楽を聞かせる実験をし、「悲愴」を聴かせたところ、よりうつ状態が悪化するという結果が出たという逸話が残っております。
いずれにせよ、「悲愴」は精神的不安を呼び起こす何かが込められている楽曲なのかもしれません。
「悲愴」は1893年10月16日に、サンクトペテルブルグにてチャイコフスキー自身の手により、演奏されました。しかし、観客の評判は芳しくなく、聴衆は当惑する人などが多かったそうです。しかし、チャイコフスキーは、この曲に対し、絶対の自信があったそうで、周囲の人物に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と胸を張って語っていたと言われています。
しかし、この初演から9日後の11月6日に、チャイコフスキーはこの世を去ってしまいます。死後、追悼コンサートが開催され、そこで「悲愴」が演奏された際、終了後、聴衆が涙したと言われています。
「悲愴」の構成
「悲愴」は4つの楽章から構成されている楽曲です。
ここでは、簡単に各楽章について解説します。
第1楽章
チャイコフスキー曰く「レクイエム的な暗さ」から始まる楽章。
ゆったりとしたテンポを保ちつつ、展開部では打って変わって激しい打楽器の音などが加わります。
そして、クライマックスにかけては再びスローテンポの管楽器の音色が流れます。
第2楽章
舞曲で構成された楽章。寂しげな印象を持った部分で、まさに「悲愴」という文字を連想させるような部分です。
第3楽章
第1・2と比べ、明るい雰囲気が特徴的な構成となっている第3楽章。行進曲とテンポの速いユーモラスな「スケルツォ」を組み合わせた構成で、チャイコフスキーの弟であるモデストは、「彼の音楽発展史を表している」と評しております。
第4楽章
冒頭からバイオリンが交互に演奏され、終盤に向け、劇的な演奏がされ、最後は消えゆくように終わっていきます。まるで、今までの演奏が、全て幻だったのかと思わせるような演出です。
チャイコフスキー「悲愴」の関連商品
「楽壇の帝王」と評された有名指揮者「ヘルベルト・フォン・カラヤン」が指揮した名盤。チャイコフスキーの他の交響曲を聴くことも出来るので、初心者にもおすすめの名盤です。
「悲愴」のスコアブック。演奏の練習をしたい方には、おすすめです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
楽曲の背景には、様々な音楽家の苦悩などがかかわっているのですね。
当サイトでは、他のクラシックについても解説しているので、そちらも参照してください。