【年表あり】ショパンの生涯を生い立ち〜代表作まで簡単にご紹介!

「ピアノの詩人」と言われているショパンは、39年という短い生涯の中で200曲以上ものピアノ曲を遺しました。クラシック音楽に詳しくなくても、彼の曲は必ずどこかで聞いたことがあるでしょう。今回はショパンの生涯から代表曲までを、分かりやすく簡単にご紹介します!

記事の目次

  1. 1.ショパンの生涯
  2. 2.ショパンの生涯の歴史年表
  3. 3.まとめ

ショパンの生涯

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フレデリック・ショパン(Frederic Chopin)は前期ロマン派を代表する作曲家で、作品のほとんどがピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と呼ばれています。

約200年前の時代にこんな美しい曲があったのか!?と思うほど、ショパンの書くメロディーはとても華麗で親しみやすく愛され続けています。

当時から現在まで大人気のショパンですが、一体どんな生涯を送っていたのでしょうか。
今回はショパンについて簡単にではありますが、彼の人生や代表作品をご紹介します!

ショパンの生い立ち、特徴とは?

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ショパンは音楽好きの父と母のもとに生まれ、幼少期からピアノやヴァイオリン、フルートなど様々な音楽に触れながら育ちました。わずか7歳でポロネーズを作曲したり演奏会を開いたりと、その才能はモーツァルトやベートーベンに並ぶと評判になっていきます。

ショパンの出身地であるポーランドはこの時代、ロシアの支配下に置かれていたため武装蜂起が絶えずあり不安定でした。青年期はパリで音楽活動をしていたショパンですが、祖国ポーランドのことはいつも心にありポーランド人であることに誇りを持っていました。

ショパンの代表曲でもあるポロネーズやマズルカはポーランドの民族舞踊です。
生涯にわたって書き続けていたため、やはりポーランドへの愛国心や平和を願う気持ちが強かったんですね。

ショパンの人柄

ショパンの身長は170cmほどで、体重は50kgにも満たないほどスリムだったそうです。病弱だったというのもありますが、とても控えめで繊細な性格だったと言われています。

美しくきらびやかな曲、甘いメロディーが特徴の曲が多いショパンですが、怒りや悲しみを込めた狂気的な曲も作曲しています。繊細な性格は言い換えれば感受性がとても豊かで、まさに芸術家らしい人柄だったのでしょう。

ショパンの最後の恋人、ジョルジュ・サンドとは?

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ショパンの人生に良い意味でも悪い意味でも影響を与えたと言われているのが、10年ほど交際していたジョルジュ・サンドという女性です。彼女はショパンより6歳年上で、フランスの小説家でした。

マリー・ダグー伯爵夫人(この人はリストの愛人だったとか!)のホームパーティーで2人は知り合いました。
サンドはショパンの音楽の才能に惚れ込んでいましたが、ショパンは男勝りなサンドに良い印象を受けませんでした。

サンドはショパンに自分の想いを手紙にしてアプローチしていました。初めは断っていたショパンですが(当時プロポーズしていた女性がいたため)だんだんとサンドにも好意を抱くようになります。

今でいうと草食系男子のショパンと、肉食系女子のサンド。いつのまにかお互い惹かれ合い、交際するようになりました。

マヨルカ島でのエピソード

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サンドはショパンの病弱な体を気遣い、手料理を作ってあげたり看病したりとても尽くしていました。
ショパンにとっても心強い支えとなり、サンドのおかげで美しい曲がたくさん書けたのも事実でしょう。

しかし冬の間、温暖な場所へ療養のためにと思って出かけたマヨルカ島が、あまり良くなかったのです。
天候が悪化しショパンの病状は悪化してしまいます。さらにサンドの2人の連れ子との関係が良くなく、ショパンを悩ませていたそうです。

マヨルカ島から帰ってからは、サンドはフランス革命に興味を持ち始め、ショパンは変わらず美しいノクターンやマズルカを作っていました。サンドはショパンの看病にだんだん疲れてしまい、2人の心の距離はだんだん広がってしまうのです。

次のページではショパンの生涯について歴史年表でご紹介します。

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ショパンの生涯の歴史年表

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