【もののけ姫】ジブリの超大作の主題歌は米良美一のデビューシングルだった!
巨匠、宮崎駿監督の長編アニメ作品「もののけ姫」(1997年)のテーマ曲「もののけ姫」は歌詞を宮崎駿監督自身が、作曲・編曲を久石譲が担当し、歌は米良美一が担当しています。深みのある歌詞と米良美一のカウンターテナーの美声が相まって、清澄な歌世界が拡がります。
ジブリの超大作「もののけ姫」は誰もが愛する作品
スタジオジブリ作品の超大作長編アニメ「もののけ姫」(1997年)は宮崎駿監督が16年の構想を経て、3年の月日をかけて製作された宮崎駿監督の渾身の一作です。
映画「もののけ姫」のあらすじ
山にもののけと呼ばれる神々が存在していた中世の日本。東と北の間にあるエミシ(蝦夷)の村の森の様子がおかしいのです。
将来村を背負って立つ数少ない若者のアシタカは、何かおかしいと、大カモシカのヤックルに乗り、森の見張り台に走り行きました。アシタカは見張り台に上ると、何やら不吉なものが近づいてくるのを察したのです。
村の境界の石垣を破ってやってきたのはタタリ神と呼ばれる巨大なイノシシに取り憑いた化け物なのでした。
タタリ神は見張り台をぶち倒し、破壊して村の奥へと突き進むのです。アシタカはその身軽な身のこなしで倒れ破壊され行く見張り台から逃れ、木に飛び乗りました。
アシタカはヤックルに乗り、タタリ神を追いかけ、何故この村を襲うのか問い糾すのですが、タタリ神は何にも答えません。その血をたっぷりと吸ったヒルのような、または太々と膨れたミミズのような形状をしたどす黒い血を思わせるものに蔽われていた不気味なタタリ神は、村の娘衆三人を見付けるや娘らを追うのです。
一人の娘が転び、これはタタリ神に追い付かれると判断したアシタカは、タタリ神の左目に矢を放ったのです。それは覚悟のことでした。
タタリ神に纏わり付いていたどす黒い血のようなそれが、アシタカを追ってきて、アシタカの右腕に絡みつくのです。アシタカはそれを力尽くで振り払いました。しかし、それはタタリ神の祟りだったのです。
それには目もくれず、アシタカは二番矢を放ち、タタリ神にとどめを刺し、退治しました。
アシタカはタタリ神を退治した代償に負った右腕の祟りは赤黒いあざとなり、やがてそのあざは骨まで達してアシタカの命を奪い取るとのことなのです。
エミシの村の掟として、タタリ神に祟られた者は村を出て行かなければならなかったのでした。
タタリ神となった巨大なイノシシからは鉄のつぶてが見つかり、エミシの村の老巫女のヒイ様は、その鉄のつぶては西の方のもので、西で何かが起きているのかも知れないと、アシタカに告げるのでした。
アシタカはヤックルに乗って、村を出るとき、見送りは禁じられていたにもかかわらず、娘集のカヤが見送りに走ってきて、玉で作った小刀を渡し、ずっとアシタカのことを思っていると言い残して、二人は別れ、アシタカは村を出て行くのでした。
旅の道中、アシタカは狼藉を働く地侍に追われる坊主の端くれと思われる謎の男、ジコ坊を助け、ジコ坊に西の山奥の山奥に神が今も司る原始の森があると聞き、西へと向かうのです。
西の森ではタタラ場があり、その村に住む村人が里から仕入れた物資を運ぶ途中、二頭の山犬と山犬に乗った少女(サン)に襲われ、村人4人が川へと落ちるのでした。
二頭の山犬の母であるモロの君が村を執り仕切るやり手の女性、エボシを襲おうとしますが、石火矢と呼ばれる鉄砲で撃たれ、その火炎でモロの君は崖の底へと落とされるのです。
アシタカが川の辺に着くと人が倒れているのを見つけ、2人を助け出すのでした。向こう岸にはモロたち山犬とサンが現れ、モロの石火矢で撃たれたところの血を口で吸い出しているのを目撃するのです。
川は雨で増水していて渡れないので、アシタカは助け出したけが人の1人はヤックルに乗せ、1人はアシタカが背負って山越えを敢行するのでした。
その途中、自然豊かな森にしかいないこだま(木霊)に遭遇し、次々と現れたこだまはまるでアシタカを道案内しているかのようなのです。森深くに分け入ったアシタカたちは、コダマたちの住み処の古木が屹立する水辺に着くのでした。
そこでアシタカはシシ神を垣間見ると、あざが蠢きだし、すぐに水に右手を押し込み、蠢きだしたあざを鎮めるのです。ヤックルに乗っていたけが人に「何か見なかったか」とアシタカは尋ねますが、けが人は何にも見なかったと答えるのでした。
しかし、その後、何故か、アシタカは背負っていたけが人が軽く感じ、ヤックルに乗っていたけが人もケガが治ったような感覚に襲われるのでした。
そうこうしていると、アシタカたちは、森を抜け、タタラ場がある村の向こう岸に出るのでした。渡し船でタタラ場に着いたアシタカたち。エボシの側近のゴンザに呼び止められたアシタカでしたが、エボシにタタラ場に入ることを許されるのでした。
ヤックルに乗っていたけが人は甲六といい、その妻のトキが駆け寄ってきて、トキは安心したのか、甲六を心配かけたとこっぴどく叱りつけるのでした……。
と、まあ、後は知っての通りのシシ神殺しの話へとつながり、自然と人間との相容れないものがどう折り合いをつけるかというとても悩ましいテーマを宮崎駿監督は「もののけ姫」を通してずっと問い続けるのです。
主題歌タイトルも『もののけ姫』は歌詞が聴きもの
巨匠、宮崎駿監督の長編アニメ作品「もののけ姫」のテーマ曲「もののけ姫」は歌詞を宮崎駿監督自身が、作曲・編曲・ピアノを久石譲が担当し、歌は米良美一が担当しています。深みのある歌詞と米良美一のカウンターテナーの美声が相まって、清澄な歌世界が拡がります。
この『もののけ姫』はこんなにも心に染み通るのでしょう。映画の中のように夜がよく似合う歌です。殺伐とした映画の内容にも影響しているのでしょうか。米良美一のカウンターテナーの美声は闇夜を引き裂くというよりもサンとアシタカを優しく包み込むような柔らかな月の光のように見守るのです。
当然、映画を観る者の心と映画とを繋ぐ接着剤の役割も果たしていて、米良美一が歌う『もののけ姫』が流れると、映画への没入を更に促されるように「わあっ」とその宮崎駿監督がぎりぎりのところで歌詞に描く人間と自然の軋轢と共生という壮大な意味を持ったテーマに、圧倒されるのです。
『もののけ姫』は米良美一のデビューシングルだった
多くの人が『もののけ姫』が米良美一のデビュー曲と思っていると思いますが、米良美一はこの1年前にデビューしているのです。たまたまラジオから流れてきた米良美一の歌声を耳にした宮崎駿監督が、「これはいい」と映画「もののけ姫」のテーマ曲に抜擢したのです。
米良美一のメジャーデビューCDは『母の唄 日本歌曲集』(1996年)で、ベストセラーになりました。米良美一はインディーズで1stシングル『Lamento d' Arianna アリアンナの嘆き」を1995年にリリースしています。宮崎駿監督がラジオで耳にしたのは『母の唄 日本歌曲集』の中の一曲と思われます。
そして、米良美一のメジャーデビューシングルが『もののけ姫』だったのです。この幸運を掴むまで、米良美一は難病と闘いながら、しかし、音楽大学首席卒業など、才能を開花させていたのです。
米良美一の略歴
1971年
宮崎県西都市に生まれる。しかし、米良美一は先天性骨形成不全症という難病を患っていました。何度も骨折するのを繰り返していました。しかし、それでも3,4歳の頃には民謡などを覚え、人前で披露し、人々に喜ばれるという体験をします。
1978年~1984年
難病のため身長が伸びず、両腕も伸ばせない症状があったために6歳から宮崎市の赤江まつばら支援学校に席を置きます。米良美一はそのために親元を離れ、寄宿生活を送ることになります。寄宿舎にはオルガンがあり、米良美一はオルガンを弾くことを勧められ、そのことが米良美一の音楽的な基礎を形作りました。家庭は裕福ではなかったので、両親は肉体労働で米良美一の入退院の費用を賄いました。しかし、友人が、頑強な男に交じって母親が働いていることをからかい、それが心の傷として残っていました。
また、体調が悪く臥せっているときはカセットテープに録音された歌謡曲を聴き過ごしました。あるとき、看護師からカセットテープをプレゼントされ、その中にはアイドルの松田聖子の歌声が収録されていました。米良美一はすぐに松田聖子の大ファンになり、松田聖子と同じ音程の歌声で歌いたくて、裏声で歌い、松田聖子の歌を練習したことが後の米良美一の原点となります。
1984年~1987年
中学時代も支援学校で過ごします。アイドルを始め、これまで聴いたこともなかったジャンルの歌に接しながら刺激を受けます。米良美一は15歳までに約30回の骨折を繰り返しています。
1987年~1990年
将来を音楽の道に進み、それをして人生の支えにしたい思いを強くし、それを両親に打ち明けたところ、父親は反対しましたが、母親は賛成します。音楽大学への進学するには経済的余裕はありませんでしたが、資金援助を受けられることとなり、将来への道に明るい陽射しが差し込めてきました。支援学校では、音楽大学への進学のために、教諭と"無謀"といわれたほどの過酷なプログラムをこなします。
1990年
洗足学園音楽大学音楽部声楽専攻にトップで合格します。在学中にテナーから女声の音域で歌うカウンターテナーへと転向します。
1994年
大学を首席で卒業します。5月に行われた「第8回古楽コンクールin山梨」にて1位なしの2位となります。この年に「バッハ・コレギウム・ジャパン」のソリストとして参加します。
1995年
奏楽堂日本歌曲コンクールで3位に入賞します。この年、自主制作デビュー盤『Lamento d' Arianna アリアンナの嘆き』をリリースします。
1996年
キングレコードからメジャーデビューCD『母の唄』をリリースします。これがベストセラーとなり、ラジオから流れていた米良美一の歌声を聴いた宮崎駿監督は感銘を受けました。
1997年
宮崎駿監督の長編アニメ映画「もののけ姫」の主題歌に起用され、それが大ヒットとなり、カウンターテナーを世に広めることになりました。
これ以降の活躍は皆の知るところですが、2015年、くも膜下出血と水頭症の手術を受けたことを公表しました。それでも米良美一の活躍は世界的なものとなっています。
『もののけ姫』の歌詞を解説!その歌詞は観るものの心に斬り込む鋭さ漂うもの!
米良美一の美声に惑わされがちですが、映画「もののけ姫」の主題歌『もののけ姫』の歌詞を解説すると、その歌詞は血の匂いがする切れ味鋭い日本刀の美しい刃紋を見るような危険な香りがひしひしと伝わってきます。
『もののけ姫』の歌詞の意味を掘り下げて解説してみると、作詞をした宮崎駿監督は刃の玲瓏な月光での輝きをイメージしていたのではないかと思います。当然、映画「もののけ姫」の主題となっている文明と自然とは水と油で、どうあがいても共生できないのか、という宮崎駿監督の焦燥がその根底に横たわっているのはいうまでもありません。
自然は隙を見せれば、その刃にも似た鋭き切っ先で文明を担う人間を襲いかねない、ぎりぎりの微妙なバランスの上にあるということが『もののけ姫』の主題歌の歌詞からはひしひしと伝わってきます。
それを作曲を担当した久石譲が自らピアノを担当してのオーケストラ演奏によるサウンドはどこまでも澄明です。また、見方によっては鋭角な光にも見えなくもない月明かりのその淡くも力強い月光を映すかのような歌詞と曲のバランスの妙は白眉ともいえます。
だから米良美一のカウンターテナーが直接的に聞くものの心に突き刺さってきて、その曲の美しさとは裏腹に、歌詞は人間の文明に対する大いなる疑問を呈した憤怒の曲ともいえるのです。
『もののけ姫』の歌詞は、サウンドが何もかも美しい故に返ってそのとがった歌詞が映える名曲!
なぜテーマ曲『もののけ姫』はこうも美しく聴くものの心にさざ波を立てるのでしょう。それを解説すると宮崎駿監督作詞の歌詞が、「人間きれい事では生きられない」と聴くものに問いかけていて、誰しも事、自然に対してはやましさを何かしら感じながら文明を享受しているからではないでしょうか。
宮崎駿監督は映画「もののけ姫」でその自然と文明の軋轢に対して真正面から立ち向かい、逃げなかったことで、映画「もののけ姫」が多くの人とに愛される要因になったことはいうまでもありません。
まとめ
ここでは主に名作映画「もののけ姫」の主題歌『もののけ姫』の歌詞に焦点を当てて、そこには宮崎駿監督の思いが凝縮していることを見てきました。
途轍もなく美しいサウンドと澄明な米良美一のカウンターテナーの歌声とは裏腹に、歌詞は自然は人間に隙あらば切っ先で首をかき切るかのような緊迫感に満ちた内容です。
永遠の問いと思われる自然と文明の対立は、最終的には自然の勝利で終わることを映画「もののけ姫」は暗示しているようにも思うのです。