【ユニコーン】絶対に知っておくべきオススメ名曲16選
16年ぶりに再結成し、2017年デビュー30周年を迎えたユニコーン。50代になっても未だ勢いが止まらないユニコーンの魅力を解説!80年代のバンドブームを知らない人にも聴いてほしいユニコーンの沁みる名曲、テンションの上がる名曲をご紹介します。
数々の名曲を生み出すユニコーンとは?
2017年にデビュー30周年を迎えた「ユニコーン」。
80年代のバンドブームを牽引した中心的バンドであり、「THE BLUE HEARTS」や「JUN SKY WALKER(S)」と並び高い人気を誇ったアイドル的ロックバンド。
1986年に広島で結成し、CBSソニーオーディションを経て、翌年ファーストアルバム『BOOM』でメジャーデビュー。
ドラムスの川西幸一脱退後の1993年に解散。各自ソロや他のアーティストのプロデュースなどの活動を行った後、2009年に再結成し、50代になった現在も精力的に活動中です。
初期は、ビートロックやビートパンク系の楽曲が中心でしたが、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカルを担当できることから、その音楽性は枠にとらわれないユニコーン独自の世界観を確立しています。
ユニコーンの個性的なメンバーをご紹介
若い世代には、奥田民生がいたバンド…という認識が強いかもしれませんが、ユニコーンは決して奥田民生のバックバンドなどではありません。
ユニコーンという唯一無二のバンドの個性は、この5人のメンバーが揃ってこそ発揮されます。
個性豊かなメンバーの一人ひとりがユニコーンの顔であり、才能と才能のぶつかり合いと融合の中から、今もなおファンの心を揺さぶり続ける数々の名曲が生まれました。
それでは、そんなユニコーンの個性的な面々をご紹介したいと思います。
ドラムス・ボーカル 川西幸一
“西川くん”こと、川西幸一(かわにし こういち)1959年10月20日 生まれ。
1986年ユニコーン結成時のリーダー。再結成時には、“肝心なときにいないから失格”という理由でリーダーを降格させらています(笑)
ちなみにユニコーン脱退後の94年~99年は、「VANILLA」というロックバンド、2003年~2008年は、JUN SKY WALKER(S)のボーカル宮田和弥らと「ジェット機」というバンドで活動していました。
サービス精神が旺盛で、今も還暦とは思えないチャーミングな西川くん。
彼のパワフルでダイナミックなドラム奏法は、ユニコーンサウンドの骨格として欠くことが出来ません。彼の脱退後、ユニコーンが解散に至ったことも頷けます。
ギター・ボーカル 手島いさむ
“テッシー”こと、手島いさむ(てしま いさむ)1963年8月27日生まれ。
川西幸一とユニコーンを結成。トレードマークは、デビュー前からの髪型であるパーマの掛かったロングヘア。解散後は、フジテレビ「LOVE LOVEあいしてる」にLOVE LOVE ALL STARSとしてレギュラー出演したり、いくつかのバンドユニットを結成したりしていました。
風貌は往年のロックギターリストですが、意外とユーモラスでシャイなテッシー。名曲との呼び声高い彼の作品(「デーゲーム」や「自転車泥棒」など)は、どこか懐かしく温かい雰囲気の曲が多いのが特徴的です。
ベース・ボーカル 堀内一史
“EBI(エビ)”こと、堀内一史(ほりうち かずし)1965年10月2日生まれ。
甘いルックスで女性ファンを魅力していたEBIは、川西と手島に勧誘されてユニコーンに加入。社会派バンドとして知られる「ARB」が大好きだったことから、当初は“ARB”と呼ばれていたものの、次第に簡略化され“EBI”と呼ばれることに。
ユニコーン解散前の1991年にソロデビューしていたこともあり、解散後も精力的にソロ活動を行い4枚のオリジナルアルバムとベストセレクションアルバムをリリース。また1997年には、憧れの「ARB」にも新メンバーとして参加しています。
ボーカル・ギター 奥田民生
okudatamio, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
“民生”&“OT”こと、奥田民生(おくだ たみお)1965年5月12日生まれ。
川西らから二度の勧誘を受け最後にユニコーン加入。メンバー全員が曲を作るようになったのは民生の提案がきっかけだそうです。
1994年からソロ活動を開始し、ソロデビューシングル「愛のために」は自身初のミリオンセラーを達成。
1996年に「PUFFY」をデビューさせたことで、音楽プロデューサーとしても注目を集めました。
プロデュースだけでなく、コラボや楽曲提供など多くのアーティストと交流があり、日本最大の野外音楽フェスであるROCK IN JAPAN FESTIVALにも10年連続参加しています。
キーボード・ボーカル 阿部義晴
“阿部B(アベビー)”こと、阿部義晴(あべ よしはる)1966年7月30日生まれ。2014年に“ABEDON”に改名。
1987年にサポートメンバーとしてユニコーンに参加。当時のキーボード担当が脱退したことで1988年に正式加入しました。
お調子者で目立ちたがり屋の阿部Bの加入により、ユニコーンの最後のピースが揃い一層個性が際立つことになりました。
阿部Bは、現在のユニコーンのリーダーで、16年ぶりの復帰シングル「WAO!」の作詞・作曲・メインボーカルも務めました。
“あれ?民生じゃないの?”と思った方も多かったでしょうが、ユニコーンのファンからすれば、ある意味ユニコーンらしい幕開けだと感じたのではないでしょうか。
【初心者にオススメの名曲】ユニコーンの人気曲8選
“民生は知ってるけどユニコーンの曲は知らない”
そんな皆さんに是非とも知ってほしいユニコーンの魅力!まずはユニコーンがどんなバンドなのかが分かる代表曲からご紹介します。
① 一時期封印されていた「Maybe Blue」(1987年)
1987年10月21日にリリースされたデビューアルバム『BOOM』に収録されたユニコーン初期の名曲「Maybe Blue」。
良い意味で、成熟する前の“青さ”を感じる楽曲ですが、ファンに長年愛され続けている曲です。
誰にでも若さを恥じる時期というのがありますが、ユニコーンにとって「Maybe Blue」はまさに若さの象徴。
そのため一時期は封印され、ライブなどで演奏されることはありませんでした。
泣き出しそうな窓際のブルー
やりきれないね
そっと 揺れてる心包んで
Maybe blue
冷たい部屋で
かまわない
Maybe blue
くずれるくらい
抱きしめて
ソロ以降の民生しか知らない人には誰か分からないほど初々しい。
歌詞で使われる言葉のチョイスも、中期以降では考えられない甘酸っぱさがあります。昔の民生はホントにかわいかったですよぉ。
バラードらしいバラード、ストレートなラブソングがあまりないユニコーンの楽曲の中では、「Maybe Blue」は貴重な一曲です。
ビートパンクの色合いが強いサウンドですが、切なげな歌詞とメロディーはやはり泣けるバラードと言えるでしょう。
② 民生だけじゃない!「ペケペケ」(1988年)
1988年7月21日にリリースされた2枚目のアルバム『PANIC ATTACK』に収録。
このアルバムは、デビューアルバムの『BOOM』と3rdアルバムの『服部』のちょうど間を取ったような音楽性で、ファンの間では名盤と評されています。
「ペケペケ」の作詞は川西幸一、作曲が奥田民生、ボーカルはEBI(堀内一史)と民生が担当。
EBIの柔らかいハイトーンと民生の荒っぽいけど伸びのある声とのコントラストが絶妙な一曲です。
好きなこといってなさい いつも
あたいがいなけりゃ 何も
出来やしないあんたはテディ―・ベア
とりあえず 愛してる
お墓までいっしよにペケペケ男
独特なベースラインとEBIと民生のツインボーカルが印象的な初期の人気曲。
きっとこんな二人がなんやかんや言いつつ、生涯添い遂げちゃったりするんでしょうね。
③ ユニコーンの代表曲「大迷惑」(1989年)
1989年4月29日にリリース。作詞・作曲は奥田民生。
アルバム『服部』からの先行シングルとして、デビューから2年近く経ってから発売されたファーストシングル。
オリコンの最高順位は12位。この曲を聞いて彼らを知ったという人も多いユニコーンの代表曲の一つです。MVでは、メンバーがオーケストラに交ざって演奏しているので探してみてください。
この悲しみをどうすりゃいいの
誰が僕を救ってくれるの
君がカンイチ 僕はジュリェット
この世は正に 大迷惑
逆らうと首になる
マイホーム ボツになる
帰りたい 帰れない
二度と出られぬ蟻地獄
ユニコーンらしいコミカルな楽曲「大迷惑」がリリースされたのは、バブル崩壊前の“24時間戦えますか”の時代。
夢のマイホームを手に入れたのに、突然の単身赴任を言い渡された主人公。そんなまさに“大迷惑”な状況を、ポップで疾走感あふれるサウンドでユーモラスに表現しています。
組織には逆らえないしがないサラリーマン。ハッピーライフを期待していた矢先、突然引き裂かれる二人はまるでロミオとジュリエット。
妄想入り混じった物語はドタバタ喜劇のように進展していきます。
④ 実は社会派!?「服部」(1989年)
「服部」は、1989年6月1日にリリースされた3rdアルバムの表題曲であり、「大迷惑」のカップリング曲として収録。
ゴリゴリのギターサウンドから始まる「服部」ですが、そもそも“服部”の意味は何?と思った人も多いでしょう。
一説によれば、山形の首領(ドン)と称された、メディア界を中心に絶対的権力を持っていた“服部 敬雄”氏(1899~1991)をモチーフにしているらしいです。
服部氏の権力による支配を皮肉った「服部」は、山形のレコード店には並ばなかったという逸話も。
男の憧れ
憂いのダーティー サーティー
男の黄昏 女にゃ憧れ
男は服部 女は真心
男は服部 女は愛敬
大人の恋なら キャリアが必要
その名は服部 世界を1人占め
財力と権力を持ち、何でも思い通りにできる大人の男“服部”は、確かに男の憧れでしょうね。
上から目線の歌詞と重厚なサウンドの「服部」ですが、権力者の横暴を揶揄していると思うと…なかなか挑戦的ですね。
アルバムツアー「WORLD TOUR 1989 服部」で、全国から選ばれた“服部さん”を「服部様ご一行」として日本武道館に招待したこと、アルバムジャケットに一般のおじさんを起用(鳶職の中村さん)したことなど、本作は何かと話題になりました。
⑤ 歴代最高の売上を記録!「働く男」(1990年)
「働く男」は、1990年7月21日にリリースされた3枚目のシングルであり、同年10月1日リリースの4枚目のアルバム『ケダモノの嵐』に収録されています。
同アルバムは、初のオリコンチャートで1位を獲得。第32回日本レコード大賞ベストアルバム賞・アルバム大賞を受賞しています。
「働く男」は、フジテレビ系のバラエティ番組『夢で逢えたら』の主題歌となり、また2006年にPUFFYがカバーしてシングルをリリースしているため、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
仕事できる男が それが彼女の好み
気合い入れて勤めたのだが 忙しいわつまんないわ
今の会社 かなりレベル高い方だし
親父がらみのコネもあるから やめるわけないし
いつも僕はひとりきり フロに入って寝るだけ
「大迷惑」に引き続き、会社員の悲哀をテーマとした作品です。
「服部」に出てくる男とは対照的に、こちらはどこにでもいるちょっと頼りなげな男が主人公です。
一般男性的にはこちらの方が親近感が湧くでしょうね。
“しんどい毎日だけど、なんやかんやで好きな女の子のためなら頑張れる!”
そんな健気な男性の心情を代弁しつつ、同時にエールを贈っています。
⑥ 今ならセクハラ!?「ひげとボイン」(1991年)
1991年9月30日にリリースされた7枚目のアルバムの表題曲で、1991年10月25日にシングルとしてもリリースされています。
アルバムタイトルは、1974年からビッグコミックオリジナルに連載されていた小島功の漫画作品『ヒゲとボイン』から引用されています。
“ボインの歌”って…今の時代ならセクハラ問題で物議を醸しそうです。
ですが、こんなふざけたタイトルには、実に大きな人生のテーマが隠されています。
アメリカ帰りで独身 なんだそのえらそうなひげ
僕の見てる目の前でボインに手を出した
何かがおかしい何かが あなたのようになりたいが
会社とはなんだ 人生とはなんだ
ああ僕は今世界一の悩める人さ
ああ男にはつらくて長い二つの道が
ああ永遠に僕を迷わすヒゲとボインが 夜空に浮かぶ
“出世と色恋”どちらも捨てがたい…そんな働く男のくだらなくも切実な悩み。
“ヒゲとボイン”というチープな単語と、あえてのスケール感溢れるサウンドで表現しています。
ミュージックビデオを観ても分かるように、基本的にはユニコーンらしく真面目にふざけています。
「ヒゲとボイン」のようなゆるさが民生らしくもあり、ユニコーンらしいと感じる人も多いのかもしれません。
⑦ 解散直前のラストシングル「すばらしい日々」(1993年)
「すばらしい日々」は、解散直前の1993年4月21日にリリースされたラストシングルで、同作が収録されている8枚目のアルバム『SPRINGMAN』のレコーディング中にドラムの西川くんは脱退しています。
バンドの解散時に作られた楽曲として話題になった「すばらしい日々」。この曲が指す“すばらしい日々”とは?
いつの間にか僕らも 若いつもりが年をとった
暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ
それぞれ二人忙しく 汗かいて
すばらしい日々だ 力あふれ すべてを捨てて僕は生きてる
君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いにいける
解散当時の1993年は、今よりも仕事に邁進することが推奨されていた時代です。詳しい事情は当人にしか分からないことですが、とにもかくにも忙しかったのでしょう。
家族のため、会社のため、社会全体のために全力で働くことは実にすばらしいことです。
でも、そんなすばらしい日々の中で捨てなくてはならないもの、犠牲にしてしまうものがあったことでしょう。その結果として、誰かを傷つけてしまうこと、すぐには折り合いがつかないこともあったと思います。
“すばらしい日々”とは、そんな現状を達観し皮肉を込めて言い表しているのかもしれないし、また過去にあった、そして未来にあるだろう別の意味での“すばらしい日々”のことも指しているのかもしれません。
この曲は、未来の自分たちへのメッセージだったのでは?
当時のすばらしい日々を一緒に懐かしむ、未来の“僕ら”がいることを民生は信じていたのでしょうね。
⑧ ユニコーン復活! 「WAO!」(2009年)
2009年2月4日にリリースした再結成後の第一弾シングル。ファンを驚かせた阿部Bが作詞、作曲、ボーカルを担当した作品です。
ファンが待ちに待った再結成の一発目でありながら、肩ひじ張らず、でも決して守りに入らないユニコーン。これぞユニコーン!という心意気が感じられます。
MVでのおふざけは健在。仲睦まじい5人を見られて、ファンはさぞ嬉しかったことでしょう。
輝く波は 宝石のよう
僕らが生まれる
遥かずっと前から
流れる波は 君の髪のよう
僕らが生まれる
遥かずっと前から
片手でなぞれば しぶき上げて
スピード上げて 進め 進め
WAO!
これぞ阿部B作品と言えるコミカルな作品です。歌詞にあまり意味はないようですが、所々に再結成したユニコーンの心意気が感じられます。
要は、“いい波(1173)”が来たということでしょうね。
【聞いたことあるかも?】ドラマやCMで使われたユニコーンの名曲3選
⑨ 『東京メトロ』CMソング/「HELLO」(2009年)
2009年再結成して最初のアルバム『シャンブル』に収録された一曲。16年ぶりのアルバムということで、これまで以上に民生以外のメンバーが作った曲が多く含まれている同アルバム。「HELLO」の作詞作曲は、「WAO!」と同じく新リーダーの阿部Bが担当しています。
シングルではありませんが、ユニコーンというバンドの幕開けを象徴するような一曲だと思います。「すばらしい日々」で民生が信じていた未来がここにあります。
⑩ テレビアニメ『宇宙兄弟』の主題歌/「Feel So Moon」(2012年)
2012年6月22日にリリースされた14枚目のシングル。『宇宙兄弟』の原作者である小山 宙哉氏たっての希望でユニコーン初のアニメタイアップとなりました。
本人たちも出演し、『宇宙兄弟』と完全コラボしたMVはかなり秀逸です。
⑪ テレビドラマ『重版出来!』主題歌「エコー」(2016年)
2016年6月8日に完全生産限定カセットテープで発売された「エコー」。TBS系火曜ドラマ『重版出来!』の主題歌として民生が書き下ろした作品です。
民生曰く“真面目に作った”という「エコー」では、いつものおちゃらけた雰囲気とはまた一味違うユニコーンらしさが堪能できます。
独特の哀愁漂うメロディーと『重版出来!』の主人公のひたむきさがシンクロし、不思議と前向きでポジティブな気持ちになります。