【サカナクション】AbemaTVオリジナル「オオカミちゃんには騙されない」主題歌に『アルクアラウンド』大抜擢!
アルクアラウンドはサカナクションの中でも特に人気のある曲です。発売から10年経っても色褪せる事なく、未だに多くのタイアップに起用されています。山口一郎がこの曲に込めた思いとは何でしょうか⁉︎今回はサカナクションのアルクアラウンド の魅力に迫っていきます。
サカナクションと「YMO」
アルクアラウンドを語る上で欠かせないのが1978年に結成されたバンド「イエロー・マジック・オーケストラ」の存在です。
2010年頃、the telephonesやぱふゅを始めとしたエレクトロニカやテクノといった音楽が流行り、アルクアラウンドもそういう要素からヒットに繋がった経緯があります。
しかしこれらの音楽は1980年代にも一度ブームが来ており、山口一郎はその時代の音楽に強い影響を受けています。
こちらがYMOの楽曲ですが、どことなくアルクアラウンドにも似たような雰囲気がありませんか?
昔、ライブを初めて観たのが、フォークソングの友部正人さんだったんです。僕もこういうふうに歌えるようになりたい、こうやって言葉を伝えたいというところから音楽に入ったので、僕の始まりはフォークソングなんです。
その過程で、クラフトワークやYMOや、ビートルズやサイモン&ガーファンクルなどに出会った。要するに、僕の親父が聴いてきたような音楽を、小っちゃいころから繰り返し聴かされていたので、自分のなかで混ざってしまった。
ラジオで山口一郎はこのように述べています。自分の中に刷り込まれた音楽は、制作する楽曲にも影響を与えます。山口一郎にとってはYMOがそうだったという事です。
とは言え、当時のリスナーにとってはYMOは馴染みが薄く、結果的に「新しい音楽」と捉えられた事がヒットに繋がったのでしょう。
山口一郎と「石川啄木」
楽曲は1980年代のエレクトロニカが下地にあるとして、歌詞はどうでしょうか?
俳句や詩をよく読みます。その人の生きざまや、感じ方のルールを知りたくて」。寺山修司、萩原朔太郎、石川啄木、石原吉郎……影響を受けた詩人がよどみなく出てくる。自身の詞も、歌詞とは意識せず一編の詩として書くという。(略)
朝日新聞のインタビューで山口一郎は上記のように述べています。歌詞が文学的と言われる所以ですね。
アルクアラウンドの歌詞の意味を知るには、石川啄木や種田山頭火等の句を知っておくとより理解が得られます。
分け入つても分け入つても青い山
上記の句は種田山頭火の有名な句です。アルクアラウンドの歌詞は「僕は歩く」と言うフレーズが繰り返し出てきます。種田山頭火も短い句の中にあえて同じフレーズを繰り返す事で、句を印象つけており、山口一郎も影響を受けたと思われます。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
上記の句は石川啄木の一握の砂に収録されています。アルクアラウンドの歌詞にも「手のひらを見た」、「しらしらと」というフレーズが出てきます。
アルクアラウンドは当時の流行を押さえつつも、1980年代のエレクトロニカと、文学的要素を融合させた作品と言えるのです。
サカナクションが「アルクアラウンド」の歌詞に込めたもの
当時のサカナクションはシンシロがヒットしたとは言え、北海道から上京したばかりでした。シンシロに収録された「ネイティブダンサー」では故郷への望郷も綴られていますが、こちらの楽曲は迷いや不安はありつつも、しっかりと前へ進もうという山口一郎の意思が感じ取れます。
続いて歌詞の意味について考察しましょう。
僕は歩く つれづれな日
新しい夜 僕は待っていた
冒頭が僕が徒然なる日を歩いているところから始まります。徒然とは「退屈な・つくづくと物思いにふける・しんみりとして寂しい」等の意味があります。
僕とは言うまでもなく山口一郎本人でしょう。この歌詞は当時の心境を語ったものと推測出来ます。
山口一郎が待っているのは夜明け前ではなく新しい夜です。寂しさ等の感情は誰かといる時よりも1人で過ごす時の方が埋められると言う意味でしょうか?
僕は歩く ひとり見上げた月は悲しみです
僕は歩く ひとり淋しい人になりにけり
僕は歩く ひとり冷えた手の平を見たのです
僕は歩く 新しい夜を待っていた
「僕は歩く」というフレーズが繰り返されます。タイトルのアルクアラウンドの意味は「地を歩く」と「見渡す(a look around)」があるとされます。
当時山口一郎は札幌から東京へバンドの拠点を移し、歩き始めたばかりでした。それは全てを捨ててきた事と同じであり、その寂しさを歌っている部分でしょう。
実際に上京したのはメンバー全員ですが、ここでは「ひとり」という部分が強調されています。これは作詞作曲の大部分を担っていたのは山口一郎であり、バンドを進めていく上でのプレッシャーを表していると思われます。
またAメロは前述した石川啄木の句がオマージュされたような「冷えた手のひらを見た」というフレーズが出てきます。
覚えたてのこの道 夜の明かり しらしらと
何を探し回るのか 僕にもまだわからぬまま
続いてBメロですがここでも見知らぬ地での漠然とした不安が描かれています。
覚えたてのこの道とは「上京したばかりの見知らぬ土地」であり、「何を探し回るのか分からぬまま」とはミュージシャンとして生きていくビジョンの事を指していると思われます。
嘆いて嘆いて
僕らは今うねりの中を歩き回る
疲れを忘れて
この地でこの地で
終わらせる意味を探し求め
また歩き始める
サビではうねりという悩みの中で、疲れを忘れても尚歩き続けると歌っています。
「僕」から「僕ら」に呼び方が変わっているのはメンバー全員の事を指していると思われます。
AメロやBメロとは一転して曲調も明るくなり、ポジティブな印象を与えます。でもこの段階では山口一郎にはまだ迷いがみられ、それを表しているのが「この地で終わらせる意味」というフレーズです。
この地とは東京、終わらせるとはミュージシャンとして生涯を終えるという事でしょう。しかし選択を選んだ意味はまだ探し求めている途中であり、その答えを見つける為、歩き続けると歌っているのです。
正しく僕を揺らす 正しい君のあの話
正しく君と揺れる 何かを確かめて
声を聞くと惹かれ すぐに忘れつらつらと
気まぐれな僕らは 離ればなれつらつらと
覚えたてのこの道 夜の明かり しらしらと
何が不安で何が足りないのかが解らぬまま
2題目では一転して「君」という存在が出てきます。君は恋人の事を指している説もありますが、恐らく違います。
「実は僕、恋愛ソングが書けないんです。」
松任谷由美のラジオ番組で、山口一郎は恋愛の歌を書けないと相談していた事がありました。山口一郎は自身の恋愛を歌にする事は苦手のようです。
ここで出てくる君とは、「正しく僕を揺らす」というフレーズから「自分が作っている音楽」の事を指していると思われます。
音楽を作る時、秀逸なメロディや歌詞が浮かんでも、すぐにそれを忘れてしまったり、うまくアレンジ出来ない事は往々にしてあります。楽曲制作での過程はまるで恋人とのやり取りのようです。
山口一郎は音楽を恋人に見立て、そのやり取りを歌詞にしたのではないかと思われます。
流れて 流れて
僕らは今うねりの中を泳ぎ回る
疲れを忘れて
この地で この地で
終わらせる意味を探し求め
また歩き始める
悩んで 僕らは
また知らない場所を知るようになる
疲れを忘れて
この地で この地で
今始まる意味を探し求め
また歩き始める
最後に2題目のサビと、最後のサビですね。ここでは「うねりの中を泳ぎ回る」とまるでサカナのような表現が出てきます。
日々変化していく音楽シーンをサカナのように泳ぎ回り、変化を恐れずにやっていこうという覚悟が見えますね。
最後のサビでは「知らない場所を知るようになる」というフレーズが出てきます。上京したばかりの「覚えたての道」もいつかは知っている場所に変わります。
そして最後のフレーズは「今始まる意味を探し求めまた歩き始める」となっており、覚悟を決めた様子が伝わってきます。
上京して慣れない自分達が覚悟を決めて歩き出す…文学的な歌詞の中にはサカナクションの熱い思いが込められているのです。
無作為性と作為性?「アルクアラウンド」がサカナクションに与えた影響とは?
アルクアラウンドはCMにも起用され、商業的にも大きな成功を収めており、多くの人がサカナクションを知るきっかけになりました。
しかしこの曲自体は山口一郎にとっては表面的な心境を吐露したものであり、札幌時代のような「自分らしさ」を主張したものではありませんでした。
その事が山口一郎にとっては新たなジレンマを与える事となります。
札幌時代っていうのは、300人キャパシティで、CDもリリースしていないし、そこの300人に向けて作るっていうよりも、自分たちがどんな曲を作りたいのか、何を感じているのかっていうことだけを純粋に伝えている、生々しい、作為性のないものを作っていたんですよ。それが東京に出てきて、作為性みたいなものを手に入れて、無作為をどう作為的に作るかっていう……技術ですよね。
無作為に作ってきた札幌時代とは異なり、東京では作為的な楽曲を求められるようになりました。いわばアルクアラウンドはサカナクションが無作為なものから、作為的なものを作る分岐点になった楽曲なのです。
自分らしさと、大衆が求める音楽をすり合わせたのが、後に発売されるkikuuikiやdocumentalyでした。
kikuuikiに収録された目が明く藍色は構想9年を経て完成させた楽曲であり、山口一郎の苦悩が伝わってきます。
このアルバム自体はアルクアラウンド以外は内省的な楽曲が多いのは、山口一郎が無作為性を求めていたからでした。
キンモクセイの2人のアカボシ等もそうですが、ヒット曲は時にバンドの運命を大きく変えてしまいます。ヒット曲を生み出すという事は、それを超えるヒット曲をまた作り出すというジレンマがつきまといます。
そんなサカナクションですが、続くdocumentalyというアルバムで「アイデンティティ」「ルーキー」「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」と、異なる面からヒット曲を量産していきました。
アルクアラウンドのヒットはサカナクションが様々な要素の曲を作り出していったという意味で、大きな価値があると言えますね。
まとめ
アルクアラウンドは発売から10年が経っても未だに数々のタイアップに起用されており、サカナクションを代表する名曲です。
このヒット曲の中には、80年代のエレクトロニカ、文学的な歌詞、そして山口一郎の覚悟等、多くの要素が詰め込まれています。その魅力を是非とも再確認してくださいね。
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