【サカナクション】江口洋介主演ドラマ「dinner」主題歌として起用された『ミュージック』の歌詞を独自で徹底解説!
サカナクションの楽曲ミュージックは発売から何年経っても色あせない名曲です。ドラマdinnerに起用されたり、紅白にもこの楽曲で出演しており、耳にした人も多いでしょう。サカナクションがミュージックを制作した意味や、歌詞について掘り下げていきましょう。
ミュージックの歌詞考察
この楽曲の歌詞は言葉本来の意味ではなく、リズムを重視して言葉を選んでいると山口一郎は述べています。
言葉で全てを説明するのではなく、あえて全てを伝えない事で、サウンドに意味を持たせています。
この曲の歌詞を事細かに考察するのは野暮であり、全体を通して何を伝えたいのかが重要でしょう。
流れ流れ
鳥は遠くの岩が懐かしくなるのか
高く空を飛んだ
誰も知らない
知らない街を見下ろし鳥は何を思うか
淋しい僕と同じだろうか
離ればなれ
鳥は群れの仲間が懐かしくなるのか
高い声で鳴いた
何も言わない
言わない街は静かに
それを聴いていたんだ
弱い僕と同じだろうか
冒頭では鳥についての思いが綴られています。大空を飛び回る鳥と、北海道から上京した自分達を重ね合わせているのでしょう。
遠くの岩は生まれ故郷の北海道、知らない街は上京したばかりの東京、群れの仲間は北海道で別れた家族や友人の事でしょうか。
Aメロの後半では「高い声で鳴いた」というフレーズが出てきますが、これはサカナクションが奏でる音楽の事であり、「言わない街はそれを聴いていた」というフレーズは彼らの音楽が彼らの知らない街にまで影響を与えてる事を表現していると思われます。
痛みや傷や嘘に慣れた僕らの言葉は
疲れた川面 浮かび流れ
君が住む町で
消えた
消えた
(カワハナガレル)
消えた
(マダミエテナイ マダミエテナイ)
消えた
消えた
(カワハナガレル)
消えた
(マダミエナイ マダミエナイカラ)
「痛みや傷や嘘に慣れた僕らの言葉」これはサカナクションが今まで作りあげた曲の事でしょう。山口一郎は全ての曲を妥協せずに作り上げてきました。
時には自分を追い込み、突発性難聴も発症しています。それを痛みや傷と表現したのでしょう。
それらの楽曲は君の町の川に辿り着きます。Aメロは街だったのに、今回は町と表現が変わりました。これは大きい街から小さな町まで、曲が広がっていく事を表しているのでしょう。
音楽は見かけ上は消えましたが、完全に消滅したのではありません。川の流れと共に新たな町まで運ばれていくのです。
濡れたままの髪で僕は眠りたい
脱ぎ捨てられた服
昨日のままだった
何も言わない
言わない部屋の壁にそれは寄りかかって
だらしない僕を見ているようだ
2題目では歌詞の視点が鳥から「僕」へと移ります。濡れたままの髪とは自然体の自分、脱ぎ捨てられた服は昨日と代わり映えしない自分の事でしょうか?
ミュージックに限らず、山口一郎の歌詞には「服」がよく出てきます。
去年と同じ服を着ていたら
去年と同じ僕がいた
後ろめたい嘘や悲しみで
汚れたシミもまだそのまま
制服のほつれた糸 引きちぎっては泣いた
変われない僕は目を閉じたまま また泣いた
藍色になりかけた空で 確かに君を感じ
上記の歌では「服」を過去の自分の暗喩として表現し、服を脱ぎ捨てて先に進まなくてはいけないと歌っています。
余談ですが、どちらもベストに収録され、ファンが選んだランキングでは1位と3位とトップクラスに人気のある曲なので、是非聴いてみて下さいね。
ミュージックでは服そのものは脱ぎ捨ててはいるものの、昨日のまま置いてあるという描写から、まだ完全には前に進む事が出来ていない「僕」の葛藤を表現しているのかもしれません。
この部分は表裏一体の楽曲の中で裏の要素が強い部分ですね。
痛みや傷や嘘に慣れた僕の独り言
疲れた夜と並び吹く風
君の頬へ
触れた
触れた
(ヨルハナガレル)
触れた
(ナイテハイナイ ナイテハイナイ)
触れた
触れた
(ヨルハナガレル)
君が
(ナイテイタ ナイテイタカラ)
2題目では「僕の独り言」という表現になりましたが、1題目同様に歌と同義語でしょう。サカナクションの楽曲は、同じように葛藤している私達の元に届けられます。その表現が、「君の頬へ、触れた」だと思います。
頬を伝う涙を拭えるような楽曲を私達の元へ届けたい。サカナクションはそう歌っているのです。
振り返った季節に立って
思い出せなくて嫌になって
流れ流れてた鳥だって
街で鳴いてたろ
鳴いてたろ
過ぎ去った季節を待って
思い出せなくて嫌になって
離ればなれから飛び立って
鳥も鳴いてたろ
鳴いてたろ
いつだって僕らを待ってる
疲れた痛みや傷だって
変わらないままの夜だって
歌い続けるよ
続けるよ
いつだって僕らを待ってる
まだ見えないままただ待ってる
だらしなくて弱い僕だって
歌い続けるよ
続けるよ
長い間奏が続き、最後の大サビが始まります。この盛り上がりは新たな始まりを思わせる部分であり、最大のカタルシスを得られる部分です。
彼らは2008年に上京。2012年で4年が経ちました、故郷を懐かしく思いつつも、「振り返った季節(札幌の季節)」はもう思い出せなくなりました。
それが嫌になったとしても帰るわけにはいきません。「いつだって彼らを待っている人達」が沢山いるからです。
これからも僕らは疲れや痛みを抱えたまま、皆の元へ曲を届けるー
大サビではサカナクションの決意が込められているのです。抽象的でありながらも、前向きなメッセージが読み取れる、非常に完成度の高い歌詞だと思います。
サカナクションのPVを制作した関和亮
ミュージックは楽曲のクオリティだけでなく、PVの評価も高いのでおすすめです。ヘッドフォンわ装着した山口一郎がキーボードを打ち込んでおり、左右に少女が登場しています。
様々な解釈が出来るPVですが、山口一郎がパソコンで音楽を制作しているところを意味していると思われます。
ミュージックのPVを制作したのは関和亮監督であり、他にはアルクアラウンドがあります。
「歩く」というテーマを取り入れつつ、歌詞をオブジェやカメラワークで表現する。サカナクションの知名度を高めた作品です。
関和亮は多くのアーティストのPVを制作しており、代表的なのはperfumeでしょう。多くの楽曲のCDジャケット、PV等のビジュアル面を演出しています。
他には星野源の恋のPVも手掛けています。
サカナクションのPVはどれも秀逸でありつつ、監督によりその表現の仕方も違います。是非色んなPVを観て欲しいですね。
まとめ
今回はサカナクションのミュージックの紹介をしました。
彼らが大衆に届ける為の表の音楽、無作為に作られた裏の音楽、これらが表裏一体となって作られたこの曲は当時の彼らの完成形だったと思います。
サカナクションを知らない人にも是非勧めたいおすすめの1曲です。
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