【フジファブリック】志村正彦のいないフジファブリックーー山内総一郎へ引き継がれ今も尚輝き続けるフジファブリック

フジファブリックのボーカルであった志村正彦が死去して10年が経ちました。現在はリードギターであった山内総一郎がボーカルを務めています。メンバーは志村正彦の意志を継ぎ、多くの名曲を生み出しました。今回は志村正彦亡き後のフジファブリックの足跡に迫りたいと思います。

記事の目次

  1. 1.日本を代表する邦楽ロックバンドフジファブリック
  2. 2.2009年12月24日 ボーカルの志村正彦が亡くなった
  3. 3.ボーカルが変わり、新体制となったフジファブリック
  4. 4.メンバープロフィール(ボーカル&ギター ベース キーボード)
  5. 5.ボーカルが志村正彦から山内総一郎へ引き継がれ、今も尚輝き続けるフジファブリック
  6. 6.まとめ

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メインボーカルであり、殆どの楽曲の作詞作曲を行ってきた志村正彦が死因の分からないまま亡くなった時、僕はこう思いました。

「もうフジファブリックの曲は聴く事は出来ない…」

これは多くの人達が思っていた事だと思います。それだけ彼の存在は天才的でバンドの核ともいえるものでした。残されたメンバーはどうなるのか…。そんな事を思っていました。しかし僕が聞いたのは、それ以上に大きなニュースでした。

2010年4月 志村正彦が遺した曲を元にメンバーがアルバムをレコーディングする…

残されたメンバーはフジファブリックの看板を背負い、新たなステージへと進めていくという決意が感じられました。ここから第2章ともいえるフジファブリックが誕生したと言えるでしょう。

メンバープロフィール(ボーカル&ギター ベース キーボード)

メジャーデビューした際は

ボーカル&ギター 志村正彦
ギター 山内総一郎
ベース 加藤慎一
キーボード 金澤ダイスケ
ドラム 足立房文 の5人でした。

2006年3月に足立が脱退(現在は脱退後はボーカル&ギターやMeriseSのメンバーとして活躍)。サポートドラマーを迎え、4人での活動を開始。

2009年12月に志村正彦が死去してからは3人で活動を続けています。

フジファブリック ボーカル&ギター 山内総一郎

1981年10月25日生まれ 大阪府茨木市出身
現在はボーカル&ギターを務めていますが、元々はリードギターを担当していました。元々はスタジオミュージシャンでしたが、フジファブリックのマネージャーに誘われ加入しています。

小学校から高校入学直前までサッカーをしており、中学時代には選抜メンバーに選ばれ、アメリカに留学しています。ギターを始めたのは高校入学直前のようで、バンド経験者の父親に教わった事がきっかけです。

2020年1月1日に女優の平岩紙との入籍を発表しています。


 

フジファブリック ベース 加藤慎一

1980年8月2日生まれ 石川県金沢市出身
2003年1月に正式加入。楽曲的にはインディーズセカンドアルバム「アラモード」から彼のベースが聴けます。現在は作曲、作詞も多く手掛けています。2016年には私立恵比寿中学に「お願いジーザス」を楽曲提供しています。

ライブでは常に帽子を被り、寡黙なベーシストですが、地元金沢のライブではMCをする事もあり、「かトーク」と呼ばれ、親しまれています。

ベースを始めたきっかけは中学1年生の時にMr.Bigのライブビデオがきっかけです。

フジファブリック キーボード 金澤ダイスケ

1980年2月9日生まれ 茨城県久慈郡大子町出身
加入時期は 加藤慎一と同時です。高校の頃は吹奏楽部の部長であり、トランペットも演奏出来ます。青山学院大に進学しますが、志村正彦にバンドに強く誘われ、中退しています。

アジカンのツアーのサポートも行っていた事があり、後藤正文からもその才能を評されています。

2018年にsuperflyの越智志帆と結婚しています。

ボーカルが志村正彦から山内総一郎へ引き継がれ、今も尚輝き続けるフジファブリック

会いに

2010年7月に通算8枚目のアルバム「MUSIC」をリリースします。由来は生前に志村正彦が持ち寄ったデモの中で最も気にいった曲であった曲に由来します。

このアルバムはモテキの主題歌にもなった「夜明けのBEAT」や、PUFFYに楽曲提供した「Bye Bye」が有名かもしれません。

このアルバムでは7曲目の「会いに」と9曲目の「Mirror」で山内総一郎がボーカルを務めています。特に「会いに」は

サビの「会いに行くよ」のフレーズしかなかったものを、加藤慎一が大半を作詞しました。3人がボーカルをそれぞれ録音した後、山内総一郎のボーカルが採用され、それ以降も彼がメインボーカルを務める事になりました。

動画の「会いに」はフジフジ富士QのLIVEの時の様子であり、山内総一郎が初めてボーカルとして人前に立った時の様子です。天才である志村正彦の代わりに自分が歌う。間違いなく緊張に押しつぶされていたと思いますが、その歌声は初めてのボーカルとは思えない程、堂々としたものでした。

彼もまた天才的なボーカリストだったのですね。

STAR

2011年9月 3人体制となり、全ての曲を3人で作り上げたアルバム「STAR」がリリース。このアルバムのリードトラックであるSTARは6分に渡る大作です。恐らくSTARとSTARTをかけた意味もあるでしょう。始まりを思わせる3原色は3人で様々な曲を生み出していくというメッセージかもしれませんね。

ECHO

またこのアルバムに収録されたECHOと言う曲は「自分にしか歌えない」と山内総一郎は強く思ったそうです。ボーカルとしての決意を固めた曲にふさわしい名曲です。PVは空から下を見上げる構図になっており、志村正彦から見た世界を表しているのかもしれません。

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まとめ

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