【フジファブリック】志村正彦のいないフジファブリックーー山内総一郎へ引き継がれ今も尚輝き続けるフジファブリック

フジファブリックのボーカルであった志村正彦が死去して10年が経ちました。現在はリードギターであった山内総一郎がボーカルを務めています。メンバーは志村正彦の意志を継ぎ、多くの名曲を生み出しました。今回は志村正彦亡き後のフジファブリックの足跡に迫りたいと思います。

記事の目次

  1. 1.日本を代表する邦楽ロックバンドフジファブリック
  2. 2.2009年12月24日 ボーカルの志村正彦が亡くなった
  3. 3.ボーカルが変わり、新体制となったフジファブリック
  4. 4.メンバープロフィール(ボーカル&ギター ベース キーボード)
  5. 5.ボーカルが志村正彦から山内総一郎へ引き継がれ、今も尚輝き続けるフジファブリック
  6. 6.まとめ

日本を代表する邦楽ロックバンドフジファブリック

2020年早々にフジファブリックのボーカル山内総一郎が結婚するというニュースが飛び込んできました。

ロックバンド「フジファブリック」のボーカル、山内総一郎さん(38)が女優の平岩紙(かみ)さん(40)と結婚したと、バンドの公式サイトで4日までに発表した。

フジファブリックは2019年にデビュー15周年を迎え、今年も2月からツアーが始まる等、精力的に活動を続けています。

フジファブリックを語る上で欠かせないのは元ボーカル&ギターである志村正彦の存在でしょう。彼が亡くなってもう10年が経ちますが、彼が作り出した名曲は未だに語り継がれています。彼の意志は山内総一郎らに受け継がれているのです。

志村正彦が生み出したフジファブリック

フジファブリックは2000年に志村正彦を中心に山梨県で結成されたバンドです。バンド名は当時のメンバーの実家の会社名であった「富士ファブリック」から取られています。

何度もメンバーチェンジを重ねており、デビューした段階で初期から在籍していたのはバンドの作詞作曲を手掛けていたギターボーカルの志村正彦だけでした。

2004年に1stシングル「桜の季節」でメジャーデビューしました。その後も叙情溢れる「陽炎」や「赤黄色の金木犀」等、日本人の琴線に触れるような名曲を生み出します。特に有名なのは2007年に発売された10枚目のシングル「若者の全て」でしょうか。この曲はBankBandや藤井フミヤ、槇原敬之等の名だたるアーティストがカバーしています。彼が天才的な音楽の才能を持つ事が分かる場面です。

志村正彦のフェティシズムが全面的に表現された「唇のソレ」や「パッション・フルーツ」、ロックチューンとも言える「モノノケハカランダ」等、フジファブリックの最大の魅力は志村正彦が生み出す曲達の振れ幅の大きさにありました。その事から彼が作詞作曲の中心にいた頃のフジファブリックは七変化ロックとも評されていました。

2009年12月24日 ボーカルの志村正彦が亡くなった

日本を代表するロックバンドとなりつつあったフジファブリックですが、2009年12月24日、志村正彦が亡くなります。29歳という若さでした。そのショッキングなニュースはアーティストだけでなく、若者を中心に広がり、悲しみに包まれたのです。あの日を境にクリスマスイブは楽しいだけではなく、別れを思い出させる日になりました。

当時の公式サイトでは真相や死因は分からなかったと書かれており、その事が多くの憶測を生みました。楽曲作りに対するプレッシャーによる自殺、20代後半の若者に多い致死性不整脈等の病気など…

様々な意見はありますが死因については今をもって真相は不明なままです。亡くなる2週間前の12月10日にはブログで元気な様子が書かれており、この時点では病気や精神的に追い詰められたの様子は感じられません。

葬儀は身内だけで行われ、2009年12月30日に出演予定だった「COUNT DOWN JAPAN」はキャンセルとなります。その際のフェスではトライセラトップスの和田や奥田民生、氣志團ら、志村正彦と縁の深かったアーティストらが楽曲をカバーしました。他にも東京事変は「透明人間」を志村正彦に弔いの意味で歌った等、様々なアーティストが悲しみにくれました。奥田民生は「桜の季節」を歌いながら号泣したのは有名なエピソードです。トライセラトップスのボーカル和田唱は志村正彦とデュエットする曲を作るつもりだったようです。志村正彦は多くのアーティストに愛されていたのです。

ボーカルが変わり、新体制となったフジファブリック

関連記事