【ビートルズ】世界を震撼させた事件にも繋がってしまったビートルズの「ヘルタースケルター」とは?

ロックの歴史上最も偉大なバンド、ビートルズ。「ヘルタースケルター」はビートルズが残した曲の中でも最も物議をかもした曲のひとつです。その理由、そして世界を震撼させた「ヘルタースケルター」にまつわる忌わしい事件について詳しく解説します。

記事の目次

  1. 1.世界的UKロックバンド「ビートルズ」
  2. 2.ビートルズが世に残した名曲はポップなものばかりではない
  3. 3.世界を震撼させた「ヘルタースケルター」事件とは
  4. 4.まとめ

世界的UKロックバンド「ビートルズ」

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ビートルズはイギリスのリバプールという小さな港町で結成されました。メンバーはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人です。
1962年10月5日に「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューし、2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」でイギリスシングルチャート1位を獲得します。
その後、イギリスでは連続してシングル1位を記録。アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は30週連続1位という記録を達成します。
イギリスを制覇したビートルズはアメリカに目を向けます。「抱きしめたい」がシングルチャート1位になったのを皮切りに、アメリカのチャートを席巻します。
1964年4月4日のチャートでは1位から5位までをビートルズが独占するという前代未聞の記録を作りました。

ビートルズの活躍をきっかけに、多くのUKロックバンドがアメリカに進出し、人気となりました。
代表的なバンドとしてはローリング・ストーンズ、アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツなどがあげられます。
彼らの活躍は第1次ブリティッシュ・インベイジョンと呼ばれ、同時代の多くのバンドやアーティストに影響を与えました。

ビートルズは後期になるとライブ活動をやめ、レコーディングに集中するようになります。
当時のレコーディング技術や機材は現在に比べれば非常に貧弱なものでしたが、ビートルズは奇抜な発想と創意工夫でそれまで聞いたことがないような新しいサウンドを作り上げていったのです。
1967年のアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』はロック史に残る名盤として現在も語り継がれています。

音楽だけにとどまらないビートルズの功績

ビートルズが残したものは多くの優れた楽曲やアルバムだけにとどまりません。
当時は画期的だったマッシュルームヘアーの長髪やファッションも当時の若者に大きな影響を与えました。
そして今では当たり前のことですが、若者が自分で曲を書き、歌詞の中で直接的に恋愛のことを歌うというのも革命的なことだったのです。

アイドル的な人気を獲得していたビートルズは映画にも進出し、『ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!』や『ヘルプ!~4人はアイドル』などの映画に出演します。
その後も実験的な映画『マジカル・ミステリー・ツアー』やアニメ作品『イエロー・サブマリン』などを制作し、これらの映像はその後のミュージックビデオの先駆けとも言われています。

ビートルズが世に残した名曲はポップなものばかりではない

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ビートルズのファンでなくとも、「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」などの名曲は多くの人に知られているでしょう。
その他、「シー・ラブズ・ユー」、「抱きしめたい」、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」などの代表曲はいずれも聞きやすいポップなものばかりです。
しかし先に書いたように、ビートルズは様々な音楽的実験で新しいサウンドを作り上げていきました。その中にはかなりシュールでアバンギャルドな曲も多く存在しています。
最も有名なもののひとつがアルバム『リボルバー』に収録された「トゥモロー・ネバー・ノウズ」でしょう。
テープの逆回転音や様々なコラージュを駆使してループを作り、その上にジョン・レノンの印象的なボーカルが東洋的なメロディーを歌います。

その意味不明な歌詞や不穏なサウンドは多くのファンやリスナーに大きな衝撃を与えました。
この曲で取り入れたテープループやサンプリングの手法は現在のヒップホップにもつながる実験と言われています。
後世の音楽にも大きな影響を与えたサイケな曲のひとつです。

サイケな曲として代表的な作品が「ヘルタースケルター」

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ビートルズのサイケな曲として代表的な作品が「ヘルタースケルター」。
「ヘルタースケルター」は1968年のアルバム『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』に収録されています。
このアルバムはビートルズの後期のアルバムですが、当時のビートルズはメンバー間の仲が良くなかったと言われています。
各メンバーが自分の書いた曲を持ち寄り、時には他のメンバーを交えずにレコーディングされた曲もあるそうです。
結果として2枚組の大作となりましたがアルバムとしての統一感は薄く、その分あらゆるタイプの曲がランダムに並ぶおもちゃ箱のようなアルバムになっています。

「ヘルタースケルター」はポール・マッカートニーが書いた曲です。
タイトルの「ヘルタースケルター(Helter Skelter)」は「混乱している」という意味の言葉で、イギリスでは「らせん式すべり台」を指すこともあるようです。

メタラーたちにも数多くカバーされるほどの人気

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他のビートルズの曲を同様に、「ヘルタースケルター」も多くのアーティストにカバーされています。
激しいギターリフを持つこの曲はハードロックやヘヴィメタルの元祖と言われることもあり、そのジャンルのバンドに多くカバーされています。

代表的なところだとエアロスミスがよくコンサートでカバーしています。エアロスミスのカバーは『パンドラの箱』という3枚組ベストで聞くことができます。
ポール・マッカートニーのライブでエアロスミスのスティーブン・タイラーが「ヘルタースケルター」を共演するという場面もあったそうです。

モトリー・クルーもよく演奏することで知られています。その他にもボン・ジョヴィやU2、オアシス、ステレオフォニックスなど多くのバンドがカバーしています。

「へルタースケルター」は発表されてから50年以上たった今でも世界中のメタラーを熱狂させているのです。

ビートルズの「ヘルタースケルター」は一体どんな曲なのか

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「ヘルタースケルター」はビートルズの曲の中でも最も激しい曲のひとつです。一体どういう内容の曲なのか、歌詞を見ていきましょう。
 

When I get to the bottom
I go back to the top of the slide
Where I stop and I turn and I go for a ride
Till I get to the bottom and I see you again,
Yeah yeah yeah

(和訳)「下まで降りたら またすべり台の上まで登る/そして止まって向きを変え、またすべる/一番下に辿り着いたらきみにまた会うのさ」
何のことを言っているのか正直よくわかりませんね。
前の項で書いたように、「ヘルタースケルター」には「らせん式すべり台」という意味があります。このすべり台を滑る描写がこの箇所なのだと思われます。

But do you, don't you want me to love you
I'm coming down fast but I'm miles above you
Tell me tell me tell me come on tell me the answer
Well you may be a lover but you ain't no dancer

(和訳)「きみは僕に愛してほしいのかい?/速く降りていくけど、僕はまだきみの頭のはるか上/ねえ お願いだ。答えを教えてくれ/きみは恋人かもしれないけど、ダンサーじゃないんだよね」

ここでは相手への恋心を歌うラブソング的な歌詞になっています。
「ヘルタースケルター」は「混乱している」という意味もありますが、すれ違う男女の恋模様、恋愛の時の混乱した感情をすべり台とのダブルミーニングで描いているのかもしれません。

そして激しい演奏の後、曲の最後に何か英語で叫ぶ声が聞こえます。
"I got blisters on my fingers!"(指にマメができちまった!)と言っているのですが、これはドラムのリンゴ・スターの声です。
何度もテイクを重ねて録音した結果リンゴ・スターの手には血マメができてしまい、演奏直後にスティックを投げ捨ててこの言葉を叫んだそうです。
その声をそのまま使ってしまうのもビートルズの遊び心と言ったところでしょうか。

世界を震撼させた「ヘルタースケルター」事件とは

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ビートルズの「ヘルタースケルター」を語るうえで避けられない、忌わしい事件があります。

1969年の8月9日、ハリウッドの女優シャロン・テートが自宅で友人たちと共に殺害されるという事件が起こったのです。
犯人は3人組でしたが、彼らはチャールズ・マンソンという男によって犯行を指示されていたのです。
チャールズ・マンソンは「マンソン・ファミリー」という一派を率いて集団生活をしていました。当時でいうヒッピーです。
チャールズ・マンソンは音楽活動もしていたようで、アルバムも出しています。

犯行の動機には諸説ありますが、シャロン・テートが住む前の家の持ち主である音楽プロデューサーへの恨みとも言われています。
つまり、シャロン・テート本人には何の恨みもなかったわけですね。
しかも当時シャロン・テートは妊娠8ヶ月でおなかの赤ちゃんと共に惨殺されてしまったのです。
何という悲しい最後でしょうか。彼女の無念を思うと言葉がありません。

この凄惨な事件は世界を震撼させました。60年代後半、ベトナム戦争反対を訴えていたフラワー・ムーブメントやヒッピー文化にも暗い影を落とすこととなったのです。

「ヘルタースケルター」は世界の終わり?

チャールズ・マンソンは混乱した世界を終わらせるための戦争や殺人を画策していたとも言われていて、「ヘルタースケルター」はそのことを歌った曲だと主張しました。
つまり「ヘルタースケルター」がこの犯行を引き起こしたのだと言うのです。

ビートルズにしてみれば言いがかりに近いトンデモな主張です。
もちろん実際はそんなことはないのですが、その結果「ヘルタースケルター」はこの忌わしい事件と切り離せない曲となってしまったのです。

まとめ

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ビートルズの名曲「ヘルタースケルター」について解説しました。

ビートルズの名曲の中でもサイケで、そして激しい曲です。言葉遊びのような歌詞は今も新鮮で、ハードロックやヘビーメタルの原型ともいえるサウンドは刺激的です。
「ヘルタースケルター」が現在でも多くカバーされているのもよくわかりますね。

チャールズ・マンソンによる忌わしい事件と合わせて語られることが多い「ヘルタースケルター」ですが、曲自体の魅力は色あせることはありません。
他のビートルズの楽曲とともに、これからも愛され、演奏されていくことでしょう。

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