日本で独自に生まれた音楽『シティポップ』が今大人気な理由は?おすすめ曲もあわせてご紹介

2016年頃から世界から注目を浴びる日本の「シティポップ」とは一体なんなのか? 「シティポップ」とはいつ生まれた音楽なのか? 「シティポップ」とはどういうジャンルの音楽なのか? 代表的なアーティストの曲を交えて紹介していきます。

記事の目次

  1. 1.そもそも『シティポップ』とはどんな音楽なのか
  2. 2.シティポップが生まれた背景
  3. 3.どうして今、シティポップに再び火がついているのか
  4. 4.大物から今話題のアーティストの知っておくべき人気曲をご紹介
  5. 5.まとめ

大物から今話題のアーティストの知っておくべき人気曲をご紹介

都会/大貫妙子(1977年)

「シティポップ」は70年代発と80年代発で楽曲の作りに違いがあります。70年代の「シティポップ」は「クロスオーバー」「Fusion」と言われる音楽を強く意識したものが多いです。この時代はまだシンセサイザー、ドラムマシーンがなかった時代で、より高度な演奏を目指し、世界中のTOPミュージシャンを集めて楽曲を作る風潮となっていきます。

70年代のシティポップは77〜79年に生まれています。この時代の音源の演奏は世界各国のスタジオ・ミュージシャンのアレンジ、演奏が詰まってる音源が多く、名曲も数多いです。

この大貫妙子の『都会』を含む、彼女の2ndアルバム『Sunshower』は坂本龍一が全面プロデュースを行い、海外から「クロスオーバー」の代表的グループ「Staff」のドラマーを日本に呼び寄せ、レコーディングをしています。

70年代の「シティポップ」には坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏とYMOのメンバーの名前がクレジットされている事が多いです。同じ年にYMOがデビューします。

夢で逢えたら/吉田美奈子(1976年)

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1976年リリースの3rdアルバム『FLAPPER』に収録の曲です。誰もが知ってるあの名曲です。作曲は大滝詠一ですが、初版は吉田美奈子のこのアルバムが原曲になります。

それ以上に「シティポップ」とは何かを語る上での「キーマン達」の殆どが、このアルバムに集約しています。詳しく書き出すと、文字数が不足するので、参加ミュージシャンから察して下さい。Apple Musicなどで配信されてるアルバムので、しっかり聴いて見て下さい。

作曲は吉田 美奈子以外に矢野顕子、佐藤博、細野晴臣、大瀧 詠一、山下達郎。アレンジは矢野誠、佐藤博、大瀧詠一、細野晴臣。演奏は村上秀一(ds)、松木恒秀(g)、高水健司(B)、矢野顕子(p)、松任谷正隆(p)です。

このメンバーでのレコーディングはもう二度と出来ないと思います。
 

Love Space/山下達郎(1977年)

「King of city pop」とそう呼んでも良いと思います。この曲は1977年発売の2ndアルバム『SPACY』の1曲目になります。このアルバムは国内で録音され、日本のTOPミュージシャンを見事に集めて出来たアルバムです。70年代の「シティポップ」の最高のアレンジ、演奏が録音されており、現在の山下達郎サウンドはここがベースになっていると言ってもいいです。

その後、アルバム『For You』が80年代に出ますが、生演奏の頂点を極めたアルバムは『For You』と言えます。以降の山下作品は次第にデジタル化の波に突入し、「シティポップ」とは違った進化を辿ります。

アレンジは勿論、山下達郎です。演奏は先の吉田美奈子と同じ面々です。演奏は村上秀一(ds)、松木恒秀(g)、細野晴臣(b)、佐藤博(kbd)です。B面になると坂本龍一(kbd)、大村憲司(g)の曲もあります。

世界中でこの『SPACY』のアナログ盤を探し当ててることでしょう。値段は10,000円は軽く超えると思います。

Sweetest Music/竹内まりや(1980年)

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1980年の竹内まりやの4枚目のアルバムに収録の1曲目です。このアルバムはApple Musicなどで2019年に遂に配信されるようになったので、そちらで確認して下さい。

ここから山下達郎の息がかかり始める彼女です。山下達郎以上に彼女への入れ込みはレコード会社RCAの方が凄いかもしれません。

このアルバムのA面(1〜5曲目)はLAレコーディングで、曲、アレンジ、演奏は当時のLAのTOPプレーヤーであるTOTO/AIRPLAYのメンバーを呼んでレコーディングされてます。A面だけ聞くと、すべてAIRPLAYのサウンドそのものです。AORを作り挙げたミュージシャンをそのまま起用してる、とんでもないアルバムです。

6曲目以降は日本で作成された楽曲になります。80年以降の日本の「シティポップ」の立役者である「林哲司」が曲を書いてます。80年代の「爽やか系シティポップ」はこの辺りから生まれてきます。

ちなみにアルバム3曲目の『Morning Glory』は山下達郎描き下ろしの曲で、LAアレンジされたものが納得いかず、山下達郎の『FOR YOU』のアルバムでセルフ・リメイクされています。竹内まりや版との違いを感じてみるのも、面白いです。

スノッブな夜へ/国分友里恵(1983年)

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1983年の彼女のデビュー・アルバムです。デビューまでには山下達郎のバックコーラス、角松敏生との共演を経てのデビューです。全面プロデュースは林哲司です。

大御所の山下達郎、竹内まりや、大貫妙子と70年後半から活躍してたアーティストの後は、林哲司、角松敏生関連の「シティポップ」が物色対象になってくると思います。

より、ブギーなビートを効かせて、よりファンキーな音作りに「シティポップ」は進化していきます。このアルバムはその途中過程の林哲司というプロデューサーの音作りの特徴が現れているアルバムとして選出しました。
 

Tokyo Tower/角松敏生(1985年)

1985年の角松敏生のアルバム『Gold Digger』の中の一曲です。この時期にデジタル機器を使いこなし、ドラム・マシン、シモンズのエレクトリック・ドラムにシンセシザーと更には激しいスラップ・ベース。そして、ラップを絡ませるという「エレクトリック・ファンク」です。

70年代テイストの「シティポップ」からよりデジタル時代へ向けた進化が始まります。
角松敏生は1985以前に杏里のプロデュースをする傍ら、自身の音楽もこの時代の音楽を進化させる立役者です。

まとめ

Photo byFree-Photos

ここまで「シティポップとは何か?」を探ってきました。80年代は音楽に「デジタルの波」は入ってきて、大きく進化する途上にあるため、「シティポップ」とはこうだと言い切れない部分があるのがわかったでしょうか?

70年代〜の流れを組む山下達郎、竹内まりや、大貫妙子。80年に入ると、林哲司、角松敏生というアーティストが出てきて「シティポップ」のあり方は変わってきます。

なぜ今「シティポップ」ブームなのか?。 それは、昨今のアナログ・レコードのブームからアナログ版を漁っていくと、CDが普及する前の音楽である「80年代」の音源に遭遇する事になります。

そこには今もなお、良質な音楽でありながら、再発されない音源が中古レコード・ショップに眠ってるということで、マニアの物色対象となる、レア音源であるが為に、まだ見ぬ日本の音楽の「漁り場」として機能してるのかもしれません。

「シティポップ」ブームは当分続きそうな模様です!

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